精神薬理学の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 23:29 UTC 版)
1952年2月にフランス海軍の外科医アンリ・ラボリは後にクロルプロマジンとして知られる4560 RPの外科での使用によって患者に「無関心」を生じさせたことを報告し、論文の終わりに、これらの知見が精神医学での使用を予想させ、おそらくバルビツール酸による睡眠療法とも関係があるだろう、と記した。すぐにパリのサンタンヌ病院の精神科医ジャン・ドレーとピエール・ドニカーの耳に入り、3月には患者に単剤でクロルプロマジンを投与し、5月にはその成果を報告をしている。バルビツール酸と異なり、脱抑制にしたり、過鎮静に陥ることなく患者を穏やかにし、患者を施設に監禁することなく日常生活が送れるようになった。これに続いて抗うつ薬、抗躁薬など様々な薬が登場し、精神薬理学の時代がはじまったとされる。時代背景で言えば、アメリカでは当時、治療は精神分析が主流であったために、無意識の葛藤の解決なく症状が抑えられるという発想に抵抗があったが、浸透するのにそれほど時間はかからなかった。 催眠剤・鎮静剤で言えば、バルビツール酸系の欠点である、耐性の形成が早く早期に依存に陥りやすく、離脱症状が強く、死に至る危険性が高いことを克服しようと新たな化合物が合成された。 それらの初期の一群は非バルビツール酸系であり、サリドマイドの催奇形性や、同様に乱用や依存のため市場から消えた。後に商品名ミルタウンで販売されるメプロバメートを、1955年にカーターウォレス社のフランク・バーガーが鎮静作用の強い物質として発見したときトランキライザー〔ママ〕の用語を用いた。 次に、1960年代前半には、ホフマン・ラ・ロシュ社から、鎮静作用のあるベンゾジアゼピン系が発売された。 「トランキライザー」も参照
※この「精神薬理学の時代」の解説は、「鎮静薬」の解説の一部です。
「精神薬理学の時代」を含む「鎮静薬」の記事については、「鎮静薬」の概要を参照ください。
- 精神薬理学の時代のページへのリンク