簡易武装計画とは? わかりやすく解説

簡易武装計画(Primitiv-Waffen-Programm)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 05:24 UTC 版)

国民突撃銃」の記事における「簡易武装計画(Primitiv-Waffen-Programm)」の解説

1944年末、第二次世界大戦終盤差し掛かり東部戦線及び西部戦線での大敗繰り返すナチス・ドイツ敗色濃厚になりつつあった。それでもなお抵抗続けるべく、1944年9月25日には総統命令元に国民突撃隊(Volkssturm)が設立されドイツ国民大多数動員された。しかし、各戦線での敗北と共に装備品喪失増大していた。国防軍武装親衛隊正規部隊ですら慢性的な装備不足に陥る中、雑多な鹵獲銃や旧式銃をかき集めてでさえ国民突撃隊武装するために十分な銃器など既に残されていなかった。このため、簡易武装計画(Primitiv-Waffen-Programm)が発動されのである。この計画では目下需要満たすべく、短期間大量に生産できる武装要求された。 多く企業参加し7.92x57mmモーゼル弾または7.92x33mm弾用い各種簡易小銃開発された。設計され簡易小銃国民突撃銃Volkssturm-Gewehr, VG)あるいは国民銃(Volksgewehr)と総称されボルトアクション式小銃自動小銃混在していた。1944年11月総統アドルフ・ヒトラー対すデモンストレーションが行われた。ヒトラー各種VGのうち、弾倉備えない単発式のものの採用却下すると共に弾倉容量10発程度が好ましいとして、7.92x33mm銃ではStG44突撃銃30連発弾倉用いるべきではないという見解述べた。グストロフ製自動小銃については酷評しており、高価製造コストStG44同程度である上、弾薬消費激しいことなどを批判した第三帝国崩壊前にドイツ全土通信連絡寸断され、既に組織だった生産体制整える事など不可となっていた。最終的に各地大管区指導者たちは地域ごとに独自の武装生産行わせる事になる。そのため、各VG最終的な生産数は全く不明だが、実際に使用されたものが少数ながら現存している。

※この「簡易武装計画(Primitiv-Waffen-Programm)」の解説は、「国民突撃銃」の解説の一部です。
「簡易武装計画(Primitiv-Waffen-Programm)」を含む「国民突撃銃」の記事については、「国民突撃銃」の概要を参照ください。

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