箱根登山鉄道バスの有料道路乗り入れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 13:27 UTC 版)
「箱根山戦争」の記事における「箱根登山鉄道バスの有料道路乗り入れ」の解説
この時点で、箱根登山鉄道は小田急の傘下に入った直後であったが、小田急自体がまだ東急の影響を強く受けている状況であった。駿豆鉄道バスの運行が認められたことを知った箱根登山鉄道は、1950年3月13日に駿豆鉄道の運営する自動車専用道路の早雲山線に乗り入れ、小涌谷から早雲山をへて湖尻に至る箱根登山鉄道バス運行の免許申請を行なった。この路線を運行することによって、自社の路線のみで観光客を芦ノ湖まで輸送し、自社のみで周遊ルートを構築しようとしたのである。 これに対して、今度は駿豆鉄道が反対した。駿豆鉄道側は「専用道路であるから道路管理者(駿豆鉄道)の承諾が必要」「この道路は自社のバスの運行を行なうために造ったもので、観光客が増えたのであれば我が社(駿豆鉄道)がバスの台数を増やせばよい」 と主張した。堤康次郎は「当時の金額で400万円も投資して、13年もかけて建設した道路。ようやく黒字になったと思ったら、免許書一本で権利を半分取られてしまうのは無理無体」と述べ、小田急社長の安藤楢六については「五島慶太の教育を受けた安藤楢六は、乗っ取りにかけては五島慶太以上」と非難した。対する小田急側では、「自社(駿豆鉄道)の運営する一般自動車道でありながら、私有専用道路であるが如き主張をする」と反発した。 この争いに対して運輸省は、箱根登山鉄道と駿豆鉄道の間で乗り入れ協定を結ぶように勧告を行った。堤康次郎は「運輸官僚に脅かされて」と述べ、一方の箱根登山側も「仕方なく勧告を受け入れ」と、双方共に止むを得ず譲歩した形ではあったが、両社間で運輸協定が結ばれた。この協定の中では、登山バスは1年ごとに有料道路利用契約の更新することになっており、契約終了の1ヶ月前までに意思表示がなければ自動的に更新することになっていた。 このような経過をへて、1950年3月20日からは駿豆鉄道バスが小田原に乗り入れるようになり、同年7月1日からは箱根登山鉄道バスが自動車専用道路に乗り入れを開始した。
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