箱根観光船の大型船導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 13:27 UTC 版)
「箱根山戦争」の記事における「箱根観光船の大型船導入」の解説
この頃になると、朝鮮戦争による好景気から、箱根は多くの団体客でにぎわうようになっており、駿豆鉄道ではこれに備えて次々と大型船を導入していた。 一方、1953年7月からは海上運送法が改正され、総トン数が20t未満の小型船舶にも海上運送法が適用されることになった。法改正前から営業している事業者については、改正法の施行から60日以内に許可すれば認められることになり、箱根観光船は1954年6月12日に海上運送法による船舶運航の免許を得ることができた。これによって、関東海運局では駿豆鉄道と箱根観光船の大型船建造を競うことになることを懸念し、新しい船を建造する際には慎重を期し、必要な場合は関東海運局に指導を仰ぐことを明記した覚書を両社に提出させた。 しかし、当時の箱根観光船の船舶の総トン数が132.60tであったのに対して、駿豆鉄道の船舶の総トン数は539.10tと大きな差があった。また、1954年10月に相模湖で発生した小型遊覧船の沈没事故によって、小型遊覧船に対する不安が高まっていた。これらの事情から、箱根観光船では、「このままでは大きな団体に対応できない」として、大型船の導入を計画した。この大型船は、1955年に建造を関東海運局に認められ、1956年4月から就航した。
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