箱根登山鉄道電車脱線転落事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:45 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事における「箱根登山鉄道電車脱線転落事故」の解説
1926年(大正15年)1月16日(列車脱線事故)[要出典] 小田原電気鉄道(現・箱根登山鉄道)小涌谷駅 - 宮ノ下駅間の80‰の下り勾配を走行していた箱根湯本行き単行電車(チキ1型チキ5)のブレーキが効かなくなり、加速してカーブで脱線。築堤から12m下に落下し、民家2軒(留守で誰もいなかった)を半壊させた。この事故で17名が死亡、10名が負傷した。唯一無傷だったのは途中で飛び降りた乗客1名のみだった。 事故原因は鉄道省による調査では線路、車両とも異常は見つからず、電車の運転士が速度制御に失敗したと推定されたが、重傷の運転士は当時の記憶を喪失しており、詳細を調査できず原因不明として処理された。 事故車のチキ5は廃車となった。その後、1950年にチキ1型の台車などを流用したモハ1形が製造されたが、車両番号は台車の流用元の番号に100を足したものとされたため、105号が当初から存在しない状態となっている。
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