第42連隊
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「ロイヤル・スコットランド連隊」の記事における「第42連隊」の解説
第43又はハイランド連隊(43rd or Highland Regiment)(1739) 第42連隊(42nd Regiment)(1741) 第42ハイランド連隊(42nd Highland Regiment)(1751) 第42ロイヤル・ハイランド連隊(42nd Royal Highland Regiment)(1758) 第42ロイヤル・ハイランド歩兵連隊(ブラックウォッチ)(42nd Royal Highland Regiment of Foot(the Black Watch))(1861) ブラックウォッチ連隊へ統合。(1881) ジャコバイトの蜂起に於いて、勇猛なハイランダー兵の戦闘力は大きく評価された。そのため、イギリス軍でもハイランダー兵を採用するようになった。1725年、当時スコットランドに於ける国王軍の指導者だったジョージ・ウェード(George Wade)は6個のハイランド監視兵(Highland Watch)中隊を立ち上げた。1739年にはこれらハイランダーの監視兵中隊が統合されて、ハイランド連隊が編成された。 ”Black Watch”は創立された頃からのあだ名であり、1861年には正式名称となった。日本語では”黒時計”と表記されることもあるが、これは誤訳である。実際は兵士が身につけていた濃緑色のタータンが黒く見えたためにそう呼ばれるようになったためであり、”黒い監視兵”の意味である。 ハイランド連隊はイギリス軍の下に編成された最初のハイランド連隊であり、初代連隊長はスコッツガーズ出身の第20代クローフォード伯爵ジョン・リンゼーが務めた。 カロデンの戦いの後、ハイランダーのタータン着用が禁止されたが、この連隊は例外的に認められ、連隊のタータンであるブラックウォッチタータンは使用され続けていた。また、1758年には”ロイヤル”の称号も受けた。 このようなことから、タータンが復興された際には他のタータンが廃れていたため、ブラックウォッチタータンを基本とした新しいタータンが数多く作られた。そして、これらはその後設立されたハイランド連隊のタータンとしてだけではなく、多くのスコットランドの氏族(クラン)により”クランタータン”として採用された。そのため、ブラックウォッチタータンには派生型が非常に多く、最も代表的なタータンの一つとされている。 ワーテルローの戦いの前哨戦であるカトル・ブラの戦い(Battle of Quatre Bras)ではネイ軍の進撃を食い止め、大きな損害を受けながらも翌々日のワーテルローの戦いに参加した。 1742年の第42連隊兵士 1801年の第42連隊将校と兵士
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