第二の衝突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 01:14 UTC 版)
「トリー・スヴャチーチェリャ (戦艦)」の記事における「第二の衝突」の解説
詳細は「ボスポラスの海戦 (1915年4月)」を参照 4月24日、ロシア艦隊は石炭地区への攻撃を実施するため黒海南西海域へ向けて出撃した。連合艦隊は、戦列艦エフスターフィイ、イオアン・ズラトウースト、パンテレイモン、トリー・スヴャチーチェリャ、ロスチスラフ、巡洋艦カグール、パーミャチ・メルクーリヤ、アルマース、水上機輸送艦インペラートル・アレクサンドル1世、機雷敷設艦クセーニヤ、それに艦隊水雷艇グループからなっていた。 4月26日、艦隊水雷艇とパーミャチ・メルクーリヤは敵拠点を砲撃し、多数の敵船を撃沈した。攻撃の報がイスタンブールへ齎されるやヤウズ・スルタン・セリムが出撃した。 4月27日の暁時、海峡へ向かって砲撃グループ、すなわち戦列艦トリー・スヴャチーチェリャとパンテレイモン、水上機を積んだアレクサンドル1世とアルマースとが分派された。残る戦列艦は海峡からおよそ25 海里の海上に留まった。2 隻の巡洋艦は、沖合いで哨戒任務に就いた。従って、ロシア艦隊は広い海域にばらばらに配置され、自分から進んで個艦撃破されるような分散配置に就いた状態になっていた。 朝方、ボスポラス海峡から駆逐艦ヌムネイ・ハミイェトが姿を現し、味方へロシア艦隊発見を知らせた。駆逐艦はロシアの掃海艦を攻撃しようとしたが、戦列艦によって追い払われた。ヤウズ・スルタン・セリムはヌムネイ・ハミイェトに無線電報を返し、ロシア艦隊へ接近を始めた。 ヤウズ・スルタン・セリムの接近に気付いた巡洋艦パーミャチ・メルクーリヤは、全速力で連合艦隊に向かって駆け出した。ヤウズ・スルタン・セリムはこれを追いかけた。エベルガールトはトリー・スヴャチーチェリャ、パンテレイモンら砲撃グループへ連合艦隊との合流を命じ、自艦エフスターフィイもまた合流に向かった。しかしながら、ヤウズ・スルタン・セリムは急速に接近しつつあり、連合艦隊の結集は間に合わないということが明らかになった。従って、エベルガールトはゲーベンを迎え撃つことにし、ロスチスラフと合流してこの古くて弱い艦を敵弾から守ることにした。こうして個別に反撃せざるを得なくなった以上、ロシア艦隊が対ゲーベン用に特訓してきた集中砲火戦術がまたしても失敗したということは明らかであった。 エベルガールトは、戦闘に備えて速度を5 knに落とすよう命じた。7時53分、ロシア艦隊は発砲を始め、ヤウズ・スルタン・セリムも応戦した。 味方の危機を見るや、砲撃グループのパンテレイモンは17.5 knという公試時より1.5 knも速い速力で戦場への接近を開始した。8時6分、砲撃グループは連合艦隊と合流した。パンテレイモンは、合流するやロスチスラフの前に立ってヤウズ・スルタン・セリムへの砲撃を開始した。やがて、敵艦へ2 発の大型砲弾が命中した。損傷は重度でなかったが、ヤウズ・スルタン・セリムは戦場から逃げ出した。8時12分、戦闘は終了した。 ドイツ船員たちは、敵艦へ3 発の命中弾を与え、この海戦でトリー・スヴャチーチェリャとイオアン・ズラトウーストが重度の損傷を負ったものと見積もっていた。しかしながら、実際にはロシア艦船は1 発の命中弾も浴びていなかった。 4月28日、連合艦隊はセヴァストーポリへ帰還した。エベルガールトは、褒賞を受けることとなった。
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