第二の犯行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/26 16:57 UTC 版)
1971年の退院後、彼はハートフォードシャーのボーヴィンドンで写真店の店員の仕事を見つけた。店主のボブ・イーグルはブロードムア病院からの照会状を受け取ったが、主治医はその中に毒物による殺人で有罪になった過去を記載していなかった。ヤングが仕事を始めてすぐにイーグルは体調不良を訴え、まもなく死亡した。ヤングは仕事仲間に与える茶にアンチモンやタリウムといった毒物を混入した。病気は職場で次々と発生し、未知のウイルスによるものと誤解され「ボーヴィンドン・バグ」と呼ばれるようになった。吐き気や医師の診察を相当とした症状は、ヤングと彼が入れた茶によるものと考えることができた。 ヤングは続く数ヶ月の間に約70人に毒物を与えた。ボブ・イーグルの後任者は、写真店で仕事を始めると間もなく病気になったため、すぐに仕事を辞め命拾いした。ボブの死後、ヤングの同僚フレッド・ビッグスは病気が悪化しロンドン国立病院に入院した。不運にも入院時には手遅れで、フレッドは数週間苦しんだ末、ヤングによる3番目の犠牲者となった。 この時点で病気および死因に関する適切な調査が必要なのは明白だった。ヤングは調査官がタリウム中毒を死因と思わなかったかどうか、経営コンサルタントに尋ねた。彼はまた同僚の1人に自らの趣味が有毒な化学薬品を研究することだと話した。この同僚は直ちにヤングの過去を調べ、彼の犯罪歴を知るや驚いて警察に通報した。 ヤングは1971年11月21日に逮捕された。警察は彼のアパートでタリウムとアコニチン、ポケットの中からアンチモンとタリウムを発見した。さらにヤングの毒物投与とその症状を詳細に綴った日記を発見した。 ヤングの裁判はセント・アルバンス・クラウン法廷で1972年6月19日に始まり、10日間続いた。ヤングは有罪を認めず、日記に関しては彼が計画していた小説に関するメモで単なる空想だと主張した。しかし証拠は明白であり、ヤングは終身刑を宣告された。今回は精神異常者を収監する施設ではなく、通常の刑務所に収監された。彼は「ティーカップ・ポイズナー The Teacup Poisoner 」と呼ばれたが、自身は「ワールズ・ポイズナー World's poisoner 」と呼ばれることを望んだ。 ヤングは1990年にパークハースト刑務所の独房で死去した。公式の死因は心臓発作とされたが、実際は服毒自殺、あるいは他の囚人に殺害されたという推測もある。
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