第九巻
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第百十五回から第百三十回まで。 漢では劉聡が太子の劉粲を派遣して、李矩を攻めるが敗北する。秦州では涼州の将・韓璞が陳安を破り、徐州では蘇峻が石勒の子・石虎を撃退していた。劉琨は段匹磾に殺され、段匹磾は段末杯に敗北する。段匹磾に味方した邵続は石虎に生け捕られた。 漢では劉聡が死に、劉粲が後を継いだ。劉粲が劉聡の后を侍らしたため、左丞相となった靳準は劉粲を廃することを謀り、曹嶷や東晋の李矩・祖逖と通じる。靳準は劉粲ら劉氏を滅ぼし、天王を名乗る。関山は靳準の暗殺に失敗し、殺される。諸葛宣于は悲憤して死去した。靳準の元から逃げた游光遠が、劉曜に事実を告げる。劉曜は靳準討伐の兵を挙げ、石勒も応じる。劉曜は『趙』と国号を変えて帝位に即く(前趙)。石勒は劉曜と将来、敵対することを決める。靳準は石勒に降伏しようとするが、拒否される。靳準は部下の反乱で死に、劉曜により族滅させられる。 祖逖は豫州で群雄たちに勝利を重ね、石虎は段匹磾と戦い、勝利する。石勒は独立して群臣を封じ、趙の天王を名乗った。(後趙) 遼東では慕容廆が勢力を伸ばしていた。劉曜は隴西を制し、諫言を聞き、反乱を鎮圧する。 祖逖は石勒の軍に勝利し、石勒は張賓の策により祖逖と講和した。涼州では、張軌の後を継いでいた張寔が殺され、弟の張茂が立った。石虎は、段匹磾を捕らえ、幽州は石勒の版図となった。 王敦は東晋に対して反乱を起こし、大軍を建康に進軍させる。隴西では陳安が劉曜に反旗を翻し、梁王を名乗る。
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第九巻
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あくまで信長に忠誠を誓いながら、それでもなお自分の身体を労る料理を作るケンに感服した信玄は、自らの死期を悟り、ケンを逃がしてやった。
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