第九回使節とは? わかりやすく解説

第九回使節

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)

元寇」の記事における「第九回使節」の解説

クビライ第三次日本侵攻計画1283年〜)を推進する一方で九回目となる使節団日本派遣する1283年弘安6年至元20年8月クビライの命を受けた提挙・王君治と補陀禅寺長老・如智は日本向けて出航した。ところが、黒水洋を経たところで台風遭遇し結局使節団日本辿り着くことはできなかった。 なお、王君治らが託されクビライ国書内容次の通りであった。 「天命受けた皇帝クビライ)が命を発して日本国王諭す。むかし、彼国(日本)はよく遣使し、参内して天子拝謁した。これに対して、朕もまた使を遣わしてこれに相報いた。すでに互いに約束交わしており、汝の心にそれを置き忘れてはいないであろうこの頃、彼国は我が信使を執って返さなかったため、朕は舟師発して咎めさせた。いにしえは兵を交わして使者その間往来する。彼国は一語交わさずして、固く我が軍拒む。よって彼国はすでに敵国となり、さらに遣使するべき理ではないが、ここに補陀禅寺長老・如智らが陳奏し『もしまた軍を興して討伐すれば、多く生霊被害を受ける。彼国の中にも仏教文学感化があり、大小強弱の理を知っているはずだ。臣らが皇帝の命を齎し宣諭すれば、即ち必ずや多く生霊を救う。彼国はまさに自省し、懇心して附するだろう』という。今、長老・如智と提挙・王君治を遣わし、詔を奉じて彼国に往かせた。善なるものは和好のほかになく、悪なるものは戦争のほかにない。果たしてこれを思慮して帰順すれば、即ち去使とともに来朝するべし。ゆえに彼者に諭し、朕はその福か禍の変化天命任せる。ここに詔を示し我が意をすべて知り考慮されよ」

※この「第九回使節」の解説は、「元寇」の解説の一部です。
「第九回使節」を含む「元寇」の記事については、「元寇」の概要を参照ください。

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