第一次マグ・トゥレドの戦い
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「マグ・トゥレドの戦い」の記事における「第一次マグ・トゥレドの戦い」の解説
一つ目のテクストは『第一次マグ・トゥレドの戦い』ないし『マグ・トゥレド・コンガの戦い』とも呼ばれ、いかにしてトゥアハ・デー・ダナンがフィル・ヴォルグからアイルランドの地を奪い定住したのかを語るものである。物語は、より早くアイルランドに住んでいた部族であるネウェドの子らが、フォモール族の圧力から逃れてギリシアに旅立ったところから始まる。ネウェドの子孫の一群であるフィル・ヴォルグは、アイルランドへと帰還して征服、30年の間占領していたが、そこに別のネウェドの子孫の一派トゥアハ・デー・ダナンが到来する。 王ヌアザに率いられたトゥアハ・デー・ダナンは、北の島々から300隻の船でアイルランドへと来航した。彼らの到来は、フィル・ヴォルグの王エオヒド・マク・エルクの夢で予見されていた。上陸するやいなや彼らは自らの船を焼き払った。交渉には、フィル・ヴォルグからは勇者スレンが、トゥアハ・デー・ダナンからはブレスが臨んだ。ブレスは、アイルランドの半分を明け渡すか戦うかという要求を出すと、フィル・ヴォルグは戦争を選んだ。兵装を用意する猶予の後、両軍はバルガタンの道で会戦し、戦闘は4日間に渡って続いた。ヌアザと会敵したスレンは、一刀のもとヌアザの右腕を切り落とした。しかし、戦闘はトゥアハ・デー・ダナン優勢となる。休戦が呼びかけられ、フィル・ヴォルグには3つの選択肢が与えられた。アイルランドを去るか、トゥアハ・デー・ダナンと土地を分け合うか、戦闘を続けるかである。フィル・ヴォルグはなお戦闘を選んだ。スレンはヌアザとの一騎打ちを持ちかけると、ヌアザは公平のため片腕を縛るという条件を出し、スレンはそれを拒絶した。果たして戦争に勝ったトゥアハ・デー・ダナンは、フィル・ヴォルグにアイルランドの5分の1を与えることにした。スレンはコナハトを選び、和平が結ばれた。 医神ディアン・ケヒトは、ヌアザのために銀でできた義腕を作ったため、これにちなんでヌアザは「銀の腕のヌアザ」と呼ばれる。しかし、女神ブリギッドが、トゥアハ・デー・ダナンは欠点なきものでなければ治めることはできないと言っていたため、腕を失ったヌアザの代わりの王が立てられていた。選ばれたのは、フォモールの王にしてダヌの子孫でもあるエラハの息子ブレスであった。7年後、ブレスが狩りの際に酒を飲んで命を落とすと、腕を取り戻したヌアザが復位した。 この戦争は、次に述べる第二次マグ・トゥレドの戦いと区別して、「コングのマグ・トゥレドの戦い」ないし「南マグ・トゥレドの戦い」と呼ばれることがある。
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