浜松電気鉄道笠井線
笠井線 | |
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![]() 遠州西ヶ崎駅で遠州電鉄線と接続する 笠井線ガソリンカー(右) | |
概要 | |
現況 | 廃止 |
起終点 |
起点:遠州西ヶ崎駅 終点:遠州笠井駅 |
運営 | |
開業 | 1914年4月7日 |
廃止 | 1944年12月10日 |
所有者 |
大日本軌道浜松支社→ 遠州軌道→遠州電気鉄道→ 浜松軌道→浜松電気鉄道 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 2.4 km (1.5 mi) |
軌間 | 762 mm (2 ft 6 in) |
電化 | 全線非電化 |
駅・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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笠井線(かさいせん)は、かつて浜松市に存在した鉄道路線である。遠州電気鉄道(現遠州鉄道)の子会社浜松電気鉄道が運営していた。遠州電気鉄道線(現在の遠州鉄道鉄道線)の遠州西ヶ崎駅から遠州笠井駅までを結んでいた。名称は電気鉄道であるが、全線非電化であり、ガソリンカーを使用していた。
路線データ
歴史
- 1914年(大正3年)4月7日 - 大日本軌道浜松支社笠井線として西ヶ崎 - 笠井が開業[1]
- 1919年(大正8年)10月12日 - 遠州軌道に譲渡
- 1921年(大正10年)8月23日 - 遠州軌道が遠州電気鉄道に社名変更
- 1923年(大正12年)10月26日以降 - 万斛駅廃止[2]
- 1925年(大正14年)4月8日 - 浜松軌道に譲渡
- 1927年(昭和2年)
- 以前 - 笠井駅を遠州笠井駅に改称[3]
- 1月 - 浜松軌道が浜松電気鉄道に社名変更
- 1939年(昭和4年)10月23日以降 - 西ヶ崎駅を遠州西ヶ崎駅に改称[2][注釈 1]。
- 1944年(昭和19年)12月10日 - 全線廃止[4]
駅一覧
全駅静岡県浜名郡(現・浜松市中央区)に所在。駅名や接続路線、所在地の名称は当線または駅廃止時点。
駅名 | 読み | 駅間 キロ |
累計 キロ |
接続路線・備考 | 所在地 |
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遠州西ヶ崎駅 | えんしゅうにしがさき | 0.0 | 遠州鉄道:鉄道線 | 積志村 | |
万斛駅 | まんごく | 1.1 | 1.1 | 1923年以降に廃止 | |
女学校前停留場 | じょがっこうまえ | 0.8 | 1.9 | 笠井町 | |
遠州笠井駅 | えんしゅうかさい | 0.5 | 2.4 |
- 当初停留場は万斛のみであったが、後に女学校前という停留場ができた。[5]
- 下記資料の記述より女学校前停留場(1925年〈大正14年〉に笠井職業女学校が開校し、1947年〈昭和22年〉の北浜高等女学校との合併を経て、静岡県立浜名高等女学校となり、1948年〈昭和23年〉静岡県立浜名高等学校になった)は、現在の笠井中学校前と考えられる。また、臨時ではなく、常設停留場のようである。
- 「大正3年に西ヶ崎駅と笠井町を結ぶ軽便鉄道が開通した。西ヶ崎〜笠井間2.3キロメール、途中に万斛・女学校前(現在、笠井中学校)に無人停留場を設置した。」(『愛称標識』積志地区愛称標識設置委員会、p.17)
輸送実績
年度 | 1931年 | 1932年 | 1933年 | 1934年 | 1935年 | 1936年 | 1937年 |
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旅客(人) | 89,231 | 85,132 | 86,684 | 100,959 | 95,384 | 103,018 | 114,944 |
- 鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
脚注
注釈
- ^ 『日本鉄道旅行地図帳』7号によると現在の遠州鉄道鉄道線の遠州西ヶ崎駅が遠州電気鉄道時代(当時は笠井線も遠州電気鉄道が経営)の1923年4月1日に西ヶ崎駅から改称されている。
出典
- ^ 『鉄道院年報. 大正3年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳』7号 東海、新潮社、2008年、p.34
- ^ 『鉄道停車場一覧 : 附・関係法規,線路図運賃早見表. 昭和2年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軌道運輸営業廃止」『官報』1945年5月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “東方見聞録:東区の文化誌”. 浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ. 2021年8月14日閲覧。
外部リンク
- 浜松電気鉄道笠井線① - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分) - ねこじゃらし・Kの懐かし処
- 浜松電気鉄道・笠井線跡 - 流浪オヤジの探検日記
- 浜松電気鉄道 笠井線 - 廃止鉄道ノート東海a-kiwa - 減速進行(上から4番目の地図で、【1922年】や【1943年】をクリクすると、地図上に赤線で表示される。)
- 浜松電気鉄道笠井線(01) - 廃線鉄道・地図の部屋
笠井線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 06:08 UTC 版)
「遠州鉄道浜松東営業所」の記事における「笠井線」の解説
73:浜松駅→労災病院→丸塚町→原島→上石田→笠井本町→笠井上町(20時以降下りのみ) 75:浜松駅 - 労災病院 - 宮竹 - 原島 - 上石田 - 笠井本町 - 笠井上町 76:浜松駅→労災病院正門→宮竹→原島→上石田→笠井本町→笠井上町(平日日中7-15時台下りのみ) 2005年4月1日:笠井高台線を分割し、笠井線と高台線となる。 2006年4月1日: 70市野上止まり誕生 2009年3月14日: 朝夕夜の数便を除き、ほとんどの便が子安経由から労災病院経由に変更。市野上止まりは廃止。 2010年4月1日: 夜間の下りのみの野口町・丸塚町・原島経由の番号を70から73に変更。 2017年4月1日:山東系統が子安経由から労災病院経由に変更 2021年10月1日:子安経由(70)、笠井上町~西鹿島駅(75)を廃止。。 76は労災病院バス停・西塚町バス停を通らずに労災病院正門バス停を通るだけで、他は全線75と同じ経路である。 かつては41 高台線とスルー運転(笠井高台線)していたが、現在は路線が分割されており、スルー運転がほぼなくなった。 かつては48(現:和合西山線)とも笠井高台線(西山系統)として直通していた。 元々の主系統は70だが、以前はこの笠井線上石田経由(浜松駅 - 子安 - 宮竹 - 原島 - 上石田 - 笠井本町 - 笠井上町 - 南中瀬 - 西鹿島駅 - 山東)のほかに東高校経由や産業展示館経由もあった。これらは#蒲線を参照のこと。 系統番号の下一桁が「0」の幹線系統が1日数本しか運行されなくなるのは、珍しいケースである。 70丸塚町経由(現:73)・75・76は浜松駅バスターミナル10番のりばで広小路北側ポール、70子安経由のみ浜松駅バスターミナル9番のりばで広小路南側ポールだったが、2009年春より浜松駅バスターミナル10番のりばで広小路南側ポールに統一された。 天竜営業所統合に伴い2020年10月1日より山東発着も所管路線になった。
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