競技生活引退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 09:57 UTC 版)
競技生活から引退した後はコーチ、審判員として活動している。自分自身の競技経験を伝えるべく、1983年から白ロシアの国家代表コーチおよび体操競技審判委員会委員長を務め、韓国、イタリア、米国でもコーチを務めた。また、欧州選手権、世界選手権、オリンピック大会をはじめとする数多くの国際競技大会で審判員を経験し、1976年以降の全ての夏季オリンピック大会に何らかの形で貢献している。1996年にはFIG女子体操競技技術委員会(英: Women’s Artistic Gymnastics Technical Committee、略称:WTC)の委員に選ばれ、2000年にWTCの副委員長に就任した。その後、2004年10月22日にトルコのアンタルヤで開催されたFIG第75回総会でWTCの委員長に選出された。 WTCの委員長としてキムは2006年の採点法変更に尽力した。それは体操競技において10点満点方式を終わらせ、上限のない採点を導くものだった。1990年代から細かな採点法の変更は行われてきたが、2006年の急進的な採点法変更の大きな誘因となったのは2004年のアテネ五輪で続発した審判員の採点をめぐる一連のトラブルだった。これらのトラブルにはポール・ハム(米国)、アレクセイ・ネモフ(ロシア)をはじめとする複数の選手らが巻き込まれている。キムやブルーノ・グランディ会長などのFIGの役員たちは将来において同様のトラブルが発生することを防止して体操競技の採点への信頼性を確保するとともに、審判員などによる人的なミスを排して各選手の演技・技術をより公正かつ正確に判定するためには、従来の採点法を抜本的に見直す急進的な変革が必要だと考えたのである。この動きはファンやアスリートの間でも論争の的になった。FIGの役員らは、新採点法は旧採点法で多くの採点をしてきたFIGの委員や審判員からの助力と助言で立案されたのだと指摘し、最終的な採用の前にメジャーな国際大会でこのシステムをテストすると強調した。最終的に新採点法は、大きな大会としては2006年の世界選手権オーフス大会から正式に導入された。 初選出の2004年10月以来、3期12年間にわたってWTCの委員長を務めた後、2016年10月19日に東京のヒルトン東京お台場で開催されたFIG第81回総会において、キムは国際体操連盟の副会長に選出された。
※この「競技生活引退後」の解説は、「ネリー・キム」の解説の一部です。
「競技生活引退後」を含む「ネリー・キム」の記事については、「ネリー・キム」の概要を参照ください。
- 競技生活引退後のページへのリンク