立山の山崎圏谷
名称: | 立山の山崎圏谷 |
ふりがな: | たてやまのやまさきけんこく |
種別: | 天然記念物 |
種別2: | |
都道府県: | 富山県 |
市区町村: | 中新川郡立山町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1945.02.22(昭和20.02.22) |
指定基準: | 地11 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 立山雄山の頂上と大汝山(3.015メートル)との西方にある窪地にして氷雪の營力により花崗岩より成る山體を浸蝕し盃を半截せる如き地形を造りしものなり、底部の高度は約2.500メートルにして二段の堆石堤あり室堂の邊より明瞭に觀察せられ我が国に於ける此の種の地形として最も著しきものの一なり。 |
天然記念物: | 稲尾岳 稲積島暖地性植物群落 立久恵 立山の山崎圏谷 立田山ヤエクチナシ自生地 竜仙島 竹の熊の大ケヤキ |
山崎カール
(立山の山崎圏谷 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/24 09:05 UTC 版)

室堂方面から望む
山崎カール(やまさきカール)、山崎圏谷(やまさきけんこく)は、立山の雄山北西山腹に見られる、幅約400m・長さ約600mの圏谷。
概要
地理学者の山崎直方は1902年(明治35年)、『地質学雑誌』にて論文「氷河果たして本邦に存在せざりしか」を発表して日本に氷河があった可能性を示し、さらに立山を実地踏査して1905年(明治38年)にその存在を確かめた。1942年(昭和17年)、雄山直下の圏谷は山崎の教え子である石井逸太郎により山崎の名を取って命名され[1][2]、翌1943年には、石井による論文「立山連峰の氷河作用‐特に山崎圏谷に就いて」により知られるようになった。この論文が契機となり、1945年(昭和20年)2月22日に立山の山崎圏谷(たてやまのやまさきけんこく)として国の天然記念物に指定された[3]。圏谷内は立入禁止だが、ミクリガ池北のエンマ台展望所から眺められる。
脚注
関連項目
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