秩序政策とサプライサイド政策の優勢段階 (1983–1989)
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1982年~1983年の政策転換が目標としていたのは、1960年代と1970年代に主流だった需要促進政策(ドイツ語版)を終わらせ、完全雇用を復活させるべく供給促進政策へと移行させることであった。この傾向は国際的なトレンドでもあった(レーガノミクス、サッチャリズム、ミッテラン大統領の「politique de rigueur緊縮政策」)。ドイツ連邦銀行、後の欧州中央銀行は、マネタリズム金融政策の限定的な解釈を採用しており、それは他の中央銀行よりも顕著で長期間にわたるものであったが、限定的な金融政策が成功した国はどこにもなかった。連邦政府は、実際には政策をミックスさせて、相変わらず財政政策によって経済成長をコントロールするというやり方を取り続けた。補助金削減を目指したものの相変わらずレトリックに留まっており、社会保障の支出もいったん削減されたあとさらに増大した。減税は合計で630億ドイツマルクの税負担を削減したが、投資と経済成長への特質すべき効果はないままであった。失業率は、1983年以降、世界レベルが好景気になるなかで減少したものの、しかし1990年代には記録的に上昇した。1970年代以降、失業率が上昇する傾向は、変わっていない。
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