禁治産・準禁治産制度への批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:18 UTC 版)
「成年後見制度」の記事における「禁治産・準禁治産制度への批判」の解説
制度が作られたのは明治(大日本帝国憲法)時代であり、本人の保護・家財産の保護は強調されても本人の自己決定権の尊重や身上配慮など、本人の基本的人権は、必ずしも重視されていなかった。 禁治産という用語は「(家の)財産を治めることを禁ず」という意を持ち、家制度の廃止された日本国憲法下での民法(親族・相続法)に合致しない。また、国家権力により私有財産の処分を禁ぜられ、無能力者とされること、また禁治産・準禁治産が戸籍に記載されることが、人格的な否定等の差別的な印象を与えがちであった。これらにより、禁治産制度の利用に抵抗が示されやすかった。 裁判所の受理件数が少なく処理が定型化していなかったこともあり、鑑定を引き受ける医師が少なく、時間とコストの負担が少なくなかった。 比較的軽度の判断能力の低下の場合であっても、一律に行為能力を制限する準禁治産者の宣告を受けることになるため、制限が過剰である場合があった。特に浪費者の場合に裁判所の運用によって、鑑定なしで準禁治産宣告を行うなど、やや無理が目立っていた。 配偶者がいる場合に、法律上当然に配偶者が後見人となる旨の規定があり(改正前の840条)、実情に即した弾力的な運用が困難であった。 保佐人の取消権について、法律の明文の規定を欠いていたため、その行使の可否について解釈上の争いがあった。
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