祭りの概要と燈籠山の歴史
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「飯田町燈籠山祭り」の記事における「祭りの概要と燈籠山の歴史」の解説
当祭りは飯田町に鎮座する春日神社の神事で、寛永年間(1624-1645年)の初期より370年余りの歴史がある。また、珠洲市指定無形民俗文化財となっている。 1997年(平成9年)12月4日に能登一円のキリコ祭りが、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されているが、その中の1つである。また2015年(平成27年)4月24日には、「灯り舞う半島 能登 〜熱狂のキリコ祭り〜」の中の1つとして日本遺産に認定された。 燈籠山人形のルーツについては青森県の立ちねぶた、様々な祭り文化の混用、あるいはオリジナルから発展した(飯田型)とするものまで諸説あるが、文化11年(1814年)に町の住人たちの働きかけにより高さ7-8間(約14-15m)もある人形山車が最初に作られたとされている。 往時は全町内で7基、高さ10-12尺(約3-4m)の燈籠山があった。しかし、大正に入ると電線の架設により燈籠山の曳き廻しができなくなり、山車などに竹細工の人形のみが飾られるようになった。さらに昭和初期には祭りのメインが子供たちの手踊りに移り変わり、燈籠山は影を潜めることとなった。その後、暫くは記念行事や大祭のみで燈籠山が作られていたが、昭和末頃には当祭りでも作られるようになり、平成に入る頃には8基の町内山車と2年に1度制作される高さ約16メートル・重さ約5トンを誇る燈籠山(1基)が毎年曳き廻されるようになった。なお、当祭りでは曳山を山車と書いて「やま」と呼称している。 近年では祭りを本来の形に戻そうとする取り組みがあり、2011年(平成23年)度には2基目、2012年(平成24年)度には3基目となる燈籠山を制作した。最終的には8基ある山車(やま)を燈籠山(とろやま)に戻し、往時の祭りを復活させることを目的に町会などが一丸となって取り組んでいる。
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