祭りの概要と燈籠山の歴史とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 祭りの概要と燈籠山の歴史の意味・解説 

祭りの概要と燈籠山の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 12:20 UTC 版)

飯田町燈籠山祭り」の記事における「祭りの概要と燈籠山の歴史」の解説

祭り飯田町鎮座する春日神社神事で、寛永年間(1624-1645年)の初期より370年余り歴史がある。また、珠洲市指定無形民俗文化財となっている。 1997年平成9年12月4日能登一円キリコ祭りが、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されているが、その中の1つである。また2015年平成27年4月24日には、「灯り舞う半島 能登熱狂キリコ祭り〜」の中の1つとして日本遺産認定された。 燈籠山人形ルーツについては青森県の立ちねぶた、様々な祭り文化混用、あるいはオリジナルから発展した飯田型)とするものまで諸説あるが、文化11年1814年)に町の住人たちの働きかけにより高さ7-8間(約14-15m)もある人形山車が最初に作られたとされている。 往時全町内で7基、高さ10-12尺(約3-4m)の燈籠山があった。しかし、大正に入ると電線架設により燈籠山の曳き廻しができなくなり山車などに竹細工人形のみが飾られるようになった。さらに昭和初期には祭りメイン子供たちの手踊り移り変わり燈籠山影を潜めることとなったその後暫く記念行事大祭のみで燈籠山作られていたが、昭和末頃には当祭りでも作られるようになり、平成に入る頃には8基の町内山車2年1度制作される高さ約16メートル重さ約5トンを誇る燈籠山(1基)が毎年曳き廻されようになった。なお、当祭りでは曳山山車と書いて「やま」と呼称している。 近年では祭りを本来の形に戻そうとする取り組みがあり、2011年平成23年)度には2基目、2012年平成24年)度には3基目となる燈籠山制作した最終的には8基ある山車(やま)を燈籠山(とろやま)に戻し往時祭り復活させることを目的町会などが一丸となって取り組んでいる。

※この「祭りの概要と燈籠山の歴史」の解説は、「飯田町燈籠山祭り」の解説の一部です。
「祭りの概要と燈籠山の歴史」を含む「飯田町燈籠山祭り」の記事については、「飯田町燈籠山祭り」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「祭りの概要と燈籠山の歴史」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「祭りの概要と燈籠山の歴史」の関連用語

祭りの概要と燈籠山の歴史のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



祭りの概要と燈籠山の歴史のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの飯田町燈籠山祭り (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS