社長逮捕から公判まで
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2005年7月12日、社長の松岡利康が名誉毀損の疑いで逮捕された。発行物およびウェブサイトで、パチンコ会社のアルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)、プロ野球チーム・阪神タイガースの元職員を中傷したというのが容疑の内容だった。鹿砦社は家宅捜索を受け、業務に必要な書類をことごとく押収されたため、事実上壊滅状態になった。しかし、社員や支援者団体等の尽力で、『紙の爆弾』など一部の刊行物は残った。こののち、鹿砦社発行の『アルゼ王国の闇』シリーズなどを買い取り関連団体などに配布していたとして、アルゼのライバル会社であるSNKプレイモアが7月下旬に捜索を受けている。 松岡の保釈は、逮捕からちょうど半年後、時期的に言えばライブドアの堀江貴文社長(当時)が逮捕された2006年1月23日の数日後に認められた。その際、鹿砦社側は「鈴木宗男より早いタイミングで認められたとはいえ、保釈請求(抗告を除く)が4回目でやっと認められているからには、はっきり言って長すぎる」と、司法当局に対して不快感をあらわにしている[要出典]。 2006年4月21日、神戸地方裁判所(佐野哲生裁判長)における論告求刑公判で、検察は松岡に懲役1年6か月を求刑した。 第二次世界大戦後では、出版社やその責任者が名誉毀損として刑事訴訟の対象となるのは異例で、他には 1976年の月刊ペン事件、1995年の噂の真相事件しかなく、本件で3例目である。鹿砦社側は「言論の自由、表現の自由を侵害する弾圧、もとい治安維持法を60年の眠りから蘇らせようとする暴挙が生んだ冤罪であり遺憾」として無罪を主張した。
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