社長退任とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 10:11 UTC 版)
しかし、長年親しまれた筆記体のロゴマークが“ミクロコスモス”に変更された直後の1991年10月9日、TBSが野村證券から損失補填を受けた問題で社内外の批判が高まり辞任に追い込まれ、相談役に就任(後任は磯崎洋三)。1993年顧問。 「野村証券#新・野村証券の設立」も参照 『3時にあいましょう』を担当していたTBSのプロデューサー2人が、上祐史浩や村井秀夫らオウム真理教の幹部に放送前の坂本弁護士のインタビューテープを見せた事が発端となり、坂本弁護士一家殺害事件が起きたのは田中社長時代である。しかし、この事件が公に発覚したのは田中の後任であった磯崎洋三が社長の時(1996年)であり、この事件で磯崎は社長を引責辞任している。 詳細は「TBSビデオ問題」を参照 2020年1月20日1時46分、心不全のため東京都内の病院で死去。88歳没。
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