礼拝堂周辺とは? わかりやすく解説

礼拝堂周辺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 10:48 UTC 版)

ワット・スタットテープワララーム」の記事における「礼拝堂周辺」の解説

礼拝堂(ウィハーン、ヴィハーラ) 礼拝堂入り口部分前に飛び出している。典型的なラッタナコーシン様式である。礼拝堂屋根平には、エーラーワン象(アイラヴァータ)に乗るインドラデザインされている。これは前述したように、この寺院インドラの住む町の名を冠していることにちなむ。 シーサーカヤームニー仏 この礼拝堂本尊である。スコータイから船で運ばれ1808年4月ないし5月ターチャーンおろされジャイアント・スイングまで運ばれた。その道中、ラーマ1世自らがこの大仏を運ぶ指揮をとったと言われており、ジャイアント・スイング運ばれてくる頃には、ラーマ1世は重い病気かかっていたと伝えられる最終的に本堂仏陀移されると「安置された。私の仕事終わった。」といいその数日後崩御したと伝えられる。 この大仏は『王朝年代記によれば1361年スコータイ王朝リタイ王治世鋳造されたとされている。右手を地に垂らしマーラに対して勝利を宣言しているいわゆる降魔印」が特徴であり、スコータイワット・マハータート設置されていたが、ラーマ1世によって発見されバンコクまで移動された。 壁画 壁画ラーマ3世時代ジャータカに材をとってかかれたものであるジャータカに材をとった壁画バンコクではここでしかみることができないまた、三界経に材をとった壁画もある。なおこの壁画1982年ドイツ政府タイ教育省芸術の手修復されている。 ドヴァーラヴァティー様式仏座 あまり目立たない仏座一部ドヴァーラヴァティー様式レリーフ仏座にはめ込まれている。これはラーマ5世チュラーロンコーン)がナコーンパトムから持ってきたものと信じられている。なお、レリーフには金箔が貼られているが、これはいつ誰が貼ったものかわかっていない。 礼拝堂の扉 礼拝堂の扉はチーク材でできた手工芸品である。現在はめ込まれている扉はレプリカで、本物国立博物館展示してある。なお、この扉を制作したのは文人として名高いラーマ2世である。 中庭 礼拝堂周りには中庭があり、そこにはラーマ3世時代盛んに行われていた中国との公益産物であるミニチュア中国式仏塔中国置物などをみることができる。また、ブロンズの馬や、生前ラーマ8世アーナンタマヒドン)がこの寺院の僧に教え受けていたこと、遺骨安置されたことなどから、ラーマ8世ゆかりの寺としてラーマ8世ブロンズ像がおかれている。 その周り屋根のついた壁面覆われており、瞑想している仏陀像が数多くかれている

※この「礼拝堂周辺」の解説は、「ワット・スタットテープワララーム」の解説の一部です。
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