石甲
主名称: | 石甲 |
指定番号: | 350 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1976.06.05(昭和51.06.05) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 大分県臼杵市臼塚古墳所在 |
員数: | 2箇 |
時代区分: | 古墳 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 二箇共後胴を扇形に広げ、前胴を一段下げて刳り表現している。腰は細くしぼり、裾はまた広げて造り、その下には柱状の支脚を造っている。 (一)は、後胴と支脚の一部を欠損しているが、総体に造りが精巧で磨損が少ない。 (二)は、裾部の欠損と総体に磨損が甚だしい。 二箇共、臼塚古墳(県指定史跡)に所在する石甲で、現在は墳丘上に鎮座する臼杵神社境内に立てられている。 |
石甲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 15:35 UTC 版)
臼塚古墳に見られる石甲は、石人石馬のような石像の一種で、細い円柱状の台部に、2つの円錐を頂部でつなげたような形状の胴部が載る石製品であり、甲冑を着た人を象った石像であるとされる。ただし、頭部は作られていない。その形が臼と杵のようにも見えることから、臼杵の地名はこの石甲から起こったものであるとする説もある。 全国的に見ると、石人、石馬は、北部九州を中心に分布し、そのうち特に筑紫君磐井の墓に比定される福岡県の岩戸山古墳では、80基を超える石人、石馬が発見されている。大分県内では他に、同じく臼杵市の熊崎川流域にある下山古墳のみで見られるもので、北部九州の分布域から離れた豊後水道沿岸の臼杵にのみ分布していることが注目されている。
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