下山古墳 (臼杵市)とは? わかりやすく解説

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下山古墳 (臼杵市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 09:40 UTC 版)

下山古墳(しもやまこふん)は、大分県臼杵市大字諏訪にある古墳。1957年7月10日に国の史跡に指定されている。

下山古墳(臼杵市)
所在地 大分県臼杵市大字諏訪
位置 北緯33度7分57.6秒 東経131度47分33.0秒 / 北緯33.132667度 東経131.792500度 / 33.132667; 131.792500座標: 北緯33度7分57.6秒 東経131度47分33.0秒 / 北緯33.132667度 東経131.792500度 / 33.132667; 131.792500
形状 前方後円墳
規模 全長68m、後円部径46m、前方部幅37m
出土品 組合せ式家形石棺銅鏡管玉鉄刀鉄鏃・鉄てい
築造時期 5世紀中頃
史跡 国の史跡(1957年昭和32年)7月10日付指定)
地図
下山古墳(臼杵市)
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概要

芝尾地区南側の丘陵にある、全長68メートル、後円部径46メートル、前方部幅37メートルのヒサゴ形の前方後円墳である。後円部には造り出し陪塚が付属している。5世紀中頃の築造と推定されている。

前方部と後円部の境目付近には石甲1基が立っている。大分県で石甲を有する古墳は、下山古墳と、同じく臼杵市にある臼塚古墳の2つのみである。

後円部には、長さ2.5メートル、幅1.3メートル、高さ1メートルの組合せ式家形石棺があり、石棺の蓋には帯状文が浮き彫りされている。石棺からは、1951年(昭和26年)3月に大分県による発掘調査が行われた際に、男女2体の人骨をはじめ、副葬品として、銅鏡、管玉、鉄刀、鉄鏃、鉄てい(加工前の材料)などが出土している。

現在は、石棺上には覆屋が設けられるとともに、周囲には芝生が植えられて、整備されている。

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