知られざる第4次東宝争議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 02:34 UTC 版)
「東宝争議」の記事における「知られざる第4次東宝争議」の解説
第4次東宝争議は、参加人員が全国の日本映画演劇労働組合(日映演)の東宝分会で約180名、砧撮影所で140名と、第3次までの東宝争議と比べて極端に少ないために、一般にはあまり知られていないが、1950年5月17日から同年12月29日まで続いた。 1948年に第3次東宝争議が終結した後も、東宝は、社内の派閥や新東宝との不調和によって、赤字を増やし、1950年1月末の借入金その他の債務は約13億円、赤字は1億5000万円にも及んでおり、新たな人員整理の必要性に迫られていた。 1950年5月17日、会社側は、300名の人員整理通告を発表した。整理の対象は、主に、日本映画演劇労働組合(日映演)だったが、それ以外に、日映演から分裂して生まれた全国映画演劇労働組合(全映演)の組合員も対象になっていた。このため、第4次東宝争議は、人員整理によって大きく影響を受ける日本映画演劇労働組合(日映演)が主導した。 5月24日、大映多摩川撮影所、松竹大船撮影所も日映演東宝撮影所分会との共闘を決議。5月25日、吉村公三郎監督の大映の『偽れる盛装』スタッフも首切りに反対の態度を示した。5月26日、山田五十鈴が日本映画演劇労働組合(日映演)への加入を発表。日本映画監督協会、シナリオ作家協会などが東宝の会社側の映画製作に非協力の態度をとるなど支援も広がった。 6月2日スト指令を出した全映演は、6月3日ストを中止し、6月16日妥結した。一方、争議を主導してきた日映演は、6月25日、解雇無効身分保全の仮処分を東京地方裁判所に申請、これに対して、8月10日、東京地方裁判所の勧告が出され、12月28日東京地方裁判所で争議妥結の覚書が作られた。12月29日本社で仮調印が行われ、争議は終結した。 1952年に亀井文夫監督、山田五十鈴主演の劇映画「母なれば女なれば」を製作したキヌタプロダクションは、第4次東宝争議の解決金として日映演に支払われた600万円のうち、200万円を資本金にして設立されたとされる。
※この「知られざる第4次東宝争議」の解説は、「東宝争議」の解説の一部です。
「知られざる第4次東宝争議」を含む「東宝争議」の記事については、「東宝争議」の概要を参照ください。
- 知られざる第4次東宝争議のページへのリンク