知られた、あるいは存在が主張された原文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/01 23:15 UTC 版)
「トートの書」の記事における「知られた、あるいは存在が主張された原文」の解説
エジプト人は、神殿 (en) 複合体の内部に設けられた資料室の中に、さまざまな話題に関する多くの文書を保存した。トートが知識の神であったことから、これらの文書の多くは彼の著作物であると主張された。エジプトの歴史家マネトは、トートが36,525冊の本を書いたと主張した。 教父・アレキサンドリアのクレメンスは、その著書『ストロマテイス』の6冊目の本の中で、彼が言うところの「エジプト人の哲学のすべて」を含む、聖職者らによって使われる42冊の本に言及している。これらのすべての本は、クレメンスによれば、ヘルメス(トートのギリシアでの名前)によって書かれたという。それらの本が取り上げる話題は、聖歌、儀式書、神殿様式、占星術、地理学、医学など多岐にわたる。こうした知識の多くが法に関係するものであったことから、この42冊の本は、第18王朝の時代には法廷において参照された。 エジプト学者の Richard Lewis Jasnow と Karl-Theodor Zauzich は、プトレマイオス時代(英語版)の『トートの書』から、長いエジプト語の文書を複製した。40以上の断片的なコピーから知られている、この民衆文字の文書は、「知識が好きである人」と呼ばれている人と、Jasnow と Zauzich がトートとして同定する像との間での対話で成っている。彼らの対話の話題は、書記官(英語版)の仕事、神々と彼らの神聖動物の多様な解釈、そして死者の国であるドゥアトを含んでいる。
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