真筆の可能性のある第2版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 16:33 UTC 版)
「ホロフェルネスの首を斬るユーディット (カラヴァッジョ)」の記事における「真筆の可能性のある第2版」の解説
カラヴァッジョが1607年6月14日にナポリを去ったとき、2人のフランドルの画家兼画商、ルイ・フィンソンとアブラハム・フィンクと共有していたナポリの工房に、カラヴァッジョは『ロザリオの聖母』と『ホロフェルネスの首を斬るユーディット』を残していった。フィンクはナポリを離れ、1609年頃にアムステルダムに定住したときに、2枚の絵画を持っていったようである。その後、フィンソンもアムステルダムに引っ越した。 2点の絵画は、今度はアムステルダムにいたフィンソンによって作成された1617年9月19日付けの遺言で再び言及されている。フィンソンは自分の遺言で、ナポリ以来、共同所有していた2点のカラヴァッジョ絵画をフィンクに残した。フィンソンは遺言を表明した直後に亡くなり、その相続人であるフィンクは2年後に亡くなった。フィンクが亡くなった後、その相続人は1619年以降に、『ロザリオの聖母』を1800フローリンでアントワープのドミニコ会の聖パウロ教会のためにピーテル・パウル・ルーベンスが率いるフランドルの画家と「アマチュア」の委員会に売却した 。1786年、オーストリアの皇帝ヨーゼフ2世は、最初にすべての「役立たずの」修道会の閉鎖を命じ、次にカラヴァッジョによる『ロザリオの聖母』を自身の芸術コレクションのために要求した。『ロザリオの聖母』は、現在、ウィーンの美術史美術館で鑑賞することができる。アントワープの主要な芸術家からの寄贈品であり、彼らの深い宗教的献身の表現であったカラヴァッジョの作品は、このようにしてフランドルのオーストリア支配者による略奪の対象となった。 1600年代初頭以来、フィンクとフィンソンが共同所有していた『ホロフェルネスの首を斬るユーディット』を表す2番目のカラヴァッジョ作品は行方不明であり、ナポリのインテーザ・サンパオロ銀行のコレクションにある絵画と同一視されるべきであると提案された。 2014年にトゥールーズの屋根裏部屋で発見された『ホロフェルネスの首を斬るユーディット』は、特定の学者によって失われたカラヴァッジョの作品であると信じられている。他の学者は、トゥールーズの作品とインテーザ・サンパオロ銀行のコレクションにある作品は、両方ともフィンソンの手によって描かれた作品というだけでなく、失われたカラヴァッジョのオリジナル作品の複製ではなく、実際にはフィンソンのオリジナルの作品であると主張している。トゥールーズの判は、フィンソンの傑作とさえ言われている。異なる見解を取る美術史家の両方の陣営は、様式的および技術的特徴に基づいて作品の帰属をしている。 絵画の真筆性を立証するためのテストが行われている間、フランス政府によって絵画の輸出禁止が課された。2019年2月、ルーヴル美術館が1億ユーロで購入する機会を断った後、絵画はオークションで売却されると発表された。ところが、アートコレクター兼ヘッジファンド・マネージャーのJ.トミルソン・ヒルが、2019年6月に予定されていたオークションの直前に絵画を非公開の金額で購入した。絵画の新しい所有者はメトロポリタン美術館の理事である。
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