相撲人の死去に対する報道対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 05:43 UTC 版)
「武蔵丸光洋」の記事における「相撲人の死去に対する報道対応」の解説
同じ1971年(昭和46年)生まれで、新入幕・1991年11月場所、新大関・1994年3月と共に同時昇進で、大相撲史上最多(当時)の幕内58回も対戦したライバル・貴ノ浪こと音羽山親方が2015年(平成27年)6月20日、43歳の若さで急性心不全の為に死去。東京都内の取材に応じた武蔵丸は「今の関取にはない、しぶとさを持っていた。リーチが長く足技もあり、何をしてくるかわからない。嫌な相手だった」と現役時代を振り返った後、「まだ気持ちの整理がつかない。友達が1人、いなくなってしまった…」と寂しそうに語っていた。 昭和の大横綱・千代の富士(第58代横綱)こと九重親方が2016年(平成28年)7月31日、61歳で膵臓癌により病死。九重親方と同じく当時監察委員を務めた武蔵丸は8月3日、九重部屋を弔問に訪れた時記者陣に対し「(直前の7月場所中に)疲れた、きついと言っていた。そんなことを言う人じゃないからびっくりした」と明かし、又同場所を途中休場する際に九重親方から直接電話を受けたという。さらに武蔵丸は「自分が(大相撲界へ)入門した時は30回ぐらい優勝していた。(住む)世界が違う人だった」と先輩横綱を悼んでいた。
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