相互直通運転後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:15 UTC 版)
「横須賀・総武快速線」の記事における「相互直通運転後」の解説
相互直通運転開始直後からの横須賀線に対するエピソードについて、下記に示す。(本節の出典:) 品鶴線経由に変更された横須賀線列車が武蔵小杉駅の「裏側」を通り、多摩川鉄橋で東急東横線と併走したため、乗りなれない乗客が「この電車はどこへ行くのか」と騒いだり、上りの横須賀線の行き先が、東京から津田沼、千葉、成田、木更津、君津、上総一ノ宮、大原行きとなったため、「田舎に連れて行かれるようで馴染めない」との声も聞かれた。また、直通運転開始から、データイムの逗子駅 - 久里浜駅間は、付属編成4両の折り返し運転となったため、「昼間は横須賀線ではなく逗子線になった」とも言われた。 約半年後の1981年3月1日付け交通新聞では、両線の状況を下記のように伝えた記事がある。 「朝7:30から1時間の大船-横浜間乗車率は東海道線が改正前291 %から改正後256 %、横須賀線が改正前311 %から改正後213 %に」 「東海道本線の混雑率がそれほど解消されていない理由は、横須賀線が5分余計にかかり、東京駅で地下ホームから八重洲口までさらに5分以上かかることが理由」 「分離運転のメリットは薄いように見えるが、戸塚、横浜駅では通勤客に悲壮感はなくゆとりができてた」
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