目標変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 04:59 UTC 版)
ドゥイユのオド(英語版)によれば164隻の船が聖地に向かっていた。イベリア沿岸に到達したときは200隻ほどになっていた。ポルトガル沿岸で船団は悪天候で足止めを受け、1147年6月16日にポルトガル北部の都市ポルトにいた。ポルトの司教、ペドロ・ピトースは彼らをポルトガル王アフォンソ1世に会うように説得した。当時、王と手勢はタホ川に到達して、3月15日にサンタレン征服(英語版)を果たしていた。また、王は教皇が王号を認めるように交渉中だった。十字軍の第一陣が到着したとの報せを得た王は、彼らに会うために急行した そこで、多国籍で規律を欠く一団は、王に助力することに同意した。厳格な取り決めが結ばれ、十字軍兵士には市での略奪と、見込まれていた捕虜解放の身代金が報酬として約束された。市については彼らが望む限りの探索と略奪を終えた後で王に引き渡す物とされた。 アフォンソ1世は征服地を分割して、封建契約に基づく封土として彼らの指揮官たちに与えることも約束した。彼は教会の代表者の座も約束し、攻城戦の参加者とその相続人はポルトガルでの商業税を免除するとした。 イングランドの十字軍戦士たちは、当初はこの計画変更にそれほど乗り気ではなかった。しかし、ハーヴェイ・ド・グランヴィルは参加するように彼らを説得した。ウィリアム・ヴェイルと彼の兄弟は、1142年のリスボン攻撃に参加した経験から、参加を拒んだ。その後、誓約の確認として人質の交換が行われた。
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