皮錫瑞の清代の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/02 01:11 UTC 版)
清代経学者の代表的な功績は、「輯佚」「校勘」「小学」の三部門に集約されるとある。また、「清朝初世の三帝は君自らの徳を備え、朝廷の威信を漢人に示すための治世の資として学問の復興に貢献し、臣下には帝業を輔けて、自らを忘れて学界に尽くすところの碩学がい、互いに学問研究の上に刺激を与えあったことが経学復興の第一原因を為した。」と述べていることから、明代の衰微を経て、皇帝が自ら示すことで経学の復興が為されたと評している。 復興の要因として、康煕、雍正、乾隆のいわゆる清初三帝の文学奨励が、その一であり、 八股文の弊害への反動と、陽明学の空疎さに対する実事求是の学問研究が、その二である。そして、家学の師承、一経を専門とすることが、 その三、四である。 さらに、佚書の蒐集校勘と 小学いわゆる文字、音韻、訓話の学を極めたのが、その五である、と述べている。上記より、連清吉氏は清朝考証学の業績として、小学・音韻学を含む経学や古典の校注、所偽書の撰述、佚書の蒐集や、地理学、地方史、伝記、族譜を含む史学や天文暦算学及びその他の科学などの解明を取上げ評価している。 また、『尚書』堯典における、段玉裁の『古文尚書撰異』は今文古文の弁別において結論を示した著作で、古文では「光被四表」、今文が「横被四表」である。と論じているが皮錫瑞は、「今文にも光と作るものがあったことに気付いてないだろう。」と否定している。
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