皮錫瑞の前漢・後漢代の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/02 01:11 UTC 版)
「経学歴史」の記事における「皮錫瑞の前漢・後漢代の評価」の解説
前漢のとき五経博士が立てられ、今文経学のみ尊崇された武帝の時代が最も純正であると評した。 皮錫瑞は前漢の儒学者を「通経致用」、「専門学風」と評し、後漢の儒学者を「実事求是」、「移風易俗」であると評した。則ち、「前漢の学問には世用に適せんとする意志の力が強く働き、それ丈一面の暗さを伴ふ。後漢のそれには理性の色が濃く出で、明るさをもつ丈弱い」と述べた。また、「前漢は師法を重んじ、後漢は家法を重んず」と述べている。ここでいう師法とは、解釈の妥当性を維持するために、章句を分折し、それを師法と称して専門を固守した。と説明されている。 また、鄭玄を評して「鄭君の徒党は天下に遍く、経学について論ずれば、 小一統時代と謂うべし」と述べ、後漢以後、鄭玄の影響力は非常に大きいものであるしている。なお、『経学通論』では、「論詩斉魯韓説、聖人皆無父感天而生。太史公、猪先生、鄭君以為有父、又感天乃調停之説」と述べ、鄭玄は今文・古文の二義を兼取し、調停の説を立てたと評している。
※この「皮錫瑞の前漢・後漢代の評価」の解説は、「経学歴史」の解説の一部です。
「皮錫瑞の前漢・後漢代の評価」を含む「経学歴史」の記事については、「経学歴史」の概要を参照ください。
- 皮錫瑞の前漢・後漢代の評価のページへのリンク