皮錫瑞の宋代の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/02 01:11 UTC 版)
「経学は唐より以て宋初に至り,已に陵夷衰微せり。然れども篤く古義を守り,新奇を取る無く,各々師伝を承け,胸臆に憑かざること,なお漢唐注疏の遺のごとし。宋の王旦の試官たりしとき,題に「仁に当りては師とも譲らず」と為せしとき,賈辺の「師」を解して「衆」と為すの新説を取らざれば,宋初篤実の風を見るべし。乃ち久しからずして風気遂に変ず。」と皮錫瑞は述べ、これ故に、経学変古時代と称されている。 「詩・書・礼・易・伝五経。公羊・穀梁并七経。周礼・儀礼是九経。論語・孝経十一経。老子・荘子十三経」とあり、儒家の経典としては、漢代頃は孔子が刪定したとされる六経から楽経を除いた五経とその後、礼が三礼に、春秋が三伝に分かれて九経となり、さらに論語、孝経、爾雅、孟子が順次加えられて、宋代にいたって十三経が成立したと記されている。 皮錫瑞は「宋儒は伝注を撥棄し、遂に疑経に難からず」と述べ、古義を変えた時代と定義した上で、「経学積衰時代」に至る道筋をつけたと批判している。
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