百円札に火をつけて玄関を照らす
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 12:37 UTC 版)
「山本唯三郎」の記事における「百円札に火をつけて玄関を照らす」の解説
函館の料亭で大散財の後に玄関で履物を履こうとしたところ暗くて良く見えないため、懐から百円札(当時の最高額紙幣)の束を取り出し火をつけた、という。芸者は驚いて消そうとしたが、「よせよせ、そんな物ならいくらでもやる。鼻紙なんか何にするか。」とカバンから更に百円札の束を取り出し、鼻水が出てもいないのに鼻を拭く真似をしてみせた。これがいつの出来事かは不明だが、1918年(大正7年)当時は公務員初任給は70円だった。 後年、東京日日新聞社で記者・諷刺漫画家を務めていた和田邦坊は、「成金栄華時代」と題して、このエピソードと同じ状況の風刺画(「成金」が百円札に火をつけて「どうだ明くなったろう」と言っている)を描いている。このため、山本唯三郎がこの「成金」のモデルと見なされることがある。和田邦坊は1899年生まれで東京日日新聞社への入社は1926年であり、山本の全盛期に同時代的に描かれた風刺画ではない。「成金栄華時代」の確認される最も古い掲載媒体は、山本の死後に発行された『現代漫画大観第三編 明治大正史』(1928年8月、中央美術社)である。この書籍は明治・大正期の政治・社会・世相・風俗などのトピックを複数の漫画家が描いた作品集である。
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