白石伸生体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:40 UTC 版)
スピードパートナーズの買収 2012年11月1日、スピードパートナーズ(のちに、八丁堀投資へ社名変更)の社長を務めていた白石伸生が、全日本の株式を100%取得しオーナーになる。旧来の全日本プロ・レスリング株式会社を過去のコンテンツ版権管理などのわずかな役割を残した上で、資本金1億円で全日本プロレスリングシステムズを設立し事業内容を引き継ぎ、新しい運営会社としてスタートを切った。 分裂騒動 就任した白石はFacebookで過激な発言を繰り返し、槍玉として上げられた新日本プロレスなど外部の人間が抗議するなど反感を呼んだ。結果として全日本の分裂騒動に発展することとなり、新日本との関係が悪化する要因となった。2013年6月1日に新役員体制が発表され、社長を務めていた内田雅之が退任し白石が新社長に就任した。一方、武藤敬司は取締役会長を辞任するとともに全日本を退団した。 その後、武藤側は白石との間で全日本プロレスの株式の買い戻し等の交渉を進めていたが、交渉が不調に終わったことから退団者と新団体の旗揚げを示唆。全日本の選手とスタッフを中心に退団を呼びかけ、船木誠勝、河野真幸、KAI、真田聖也、中之上靖文、浜亮太、田中稔、カズ・ハヤシ、近藤修司、大和ヒロシ、アンディ・ウー、練習生全員、そして一部のスタッフが退団を表明。一方で大森隆男、諏訪魔、ジョー・ドーリング、征矢学、SUSHIが全日本への残留を明言したほか、太陽ケア、レフェリーの和田京平が限定的ではあるが全日本へ復帰する方針を明らかにした。 新体制発足 2013年7月5日、新体制を発表し2月から全日本に参戦していた秋山準、潮崎豪、金丸義信、鈴木鼓太郎、青木篤志のバーニング5名が所属選手(秋山、金丸は13年ぶりに全日本復帰。)となり、レフェリーの和田が名誉レフェリーという形で復帰した。白石代表の下、13名(選手10名、スタッフ3名)で再出発することとなった。一方、武藤らは7月10日に新団体WRESTLE-1を旗揚げした。7月14日には、態度を保留していた渕正信が取締役相談役に就任する形で残留。従前に比べ手薄となった選手層の補強は以後も積極的に行われ、9月1日付で曙が入団し、10月には練習生4名が入寮。 8月1日、スピードパートナーズ社内で全日株を保有することに反発した幹部たちに対し、白石オーナーは自身のスピードパートナーズ社の全株式を売却すると決定。同日、辞任の上スピードパートナーズ社は株式会社八丁堀投資に社名変更。同社の傘下企業だった全日本プロレスリングシステムズや、エステ・アパレルなど計5部門を自身の資産管理会社の株式会社レッドウォールジャパンに移し、全日本プロレスリングシステムズの新しい親会社となった。9月11日付けで井上博太が代表に昇格し、白石前代表はオーナーとして後方支援を続けた。また、2013年に全日本プロレスリングシステムズ株式会社によって出願された「全日本プロレス」の商標は、白石オーナーの株式会社アールワンが継承していたが、2018年12月にオールジャパン・プロレスリング株式会社が譲渡を受けて保有している。
※この「白石伸生体制」の解説は、「全日本プロレス」の解説の一部です。
「白石伸生体制」を含む「全日本プロレス」の記事については、「全日本プロレス」の概要を参照ください。
- 白石伸生体制のページへのリンク