白塚村から白塚町へとは? わかりやすく解説

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白塚村から白塚町へ(1868-1954)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 02:55 UTC 版)

白塚町」の記事における「白塚村から白塚町へ(1868-1954)」の解説

明治維新迎え1876年明治9年)に白塚学校(現・津市白塚小学校)が開校1879年明治12年)に戸長役場開設され1884年明治17年)には3か村組合戸長役場となった町村制施行時は、単独制を敷き1896年明治29年)に所属郡が奄芸郡から河芸郡変わった1902年明治35年)から1904年明治37年)頃に織物産業白塚村興り6つ工場タオル生産行い、「白塚タオル」は特産品となった1912年明治45年)、津電灯により白塚村初め電気引かれ21戸に明かりが灯った。翌1913年大正2年)には白塚尋常高等小学校火災発生し校舎1棟を焼失した1918年大正7年8月津市米騒動発生した際には、村民200人が漁船津観音乗り付け騒動加担した。翌1919年大正8年)、白塚郵便局開業した1933年昭和8年)の職業別戸数では、農業238戸、水産業169戸、商業148戸、工業25戸、公務自由業25戸などとなっており、第一次産業商業中心産業であった1944年昭和19年5月8日関西急行鉄道同年6月1日近畿日本鉄道となる)が白塚駅設置し同年9月には近鉄名古屋線南側管轄する車庫として白塚車庫開設された。 1947年昭和22年)、白塚村町制施行し白塚町となり、白塚町白塚中学校設立した。しかし白塚中学1948年昭和23年)に白塚町一身田ほか4か町村学校組合参加したため、一身田中学校統合された。

※この「白塚村から白塚町へ(1868-1954)」の解説は、「白塚町」の解説の一部です。
「白塚村から白塚町へ(1868-1954)」を含む「白塚町」の記事については、「白塚町」の概要を参照ください。

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