白塚村から白塚町へ(1868-1954)
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明治維新を迎え、1876年(明治9年)に白塚学校(現・津市立白塚小学校)が開校、1879年(明治12年)に戸長役場が開設され、1884年(明治17年)には3か村組合の戸長役場となった。町村制施行時は、単独で村制を敷き、1896年(明治29年)に所属郡が奄芸郡から河芸郡に変わった。 1902年(明治35年)から1904年(明治37年)頃に織物産業が白塚村で興り、6つの工場がタオル生産を行い、「白塚タオル」は特産品となった。1912年(明治45年)、津電灯により白塚村に初めて電気が引かれ、21戸に明かりが灯った。翌1913年(大正2年)には白塚尋常高等小学校で火災が発生し、校舎1棟を焼失した。1918年(大正7年)8月に津市で米騒動が発生した際には、村民約200人が漁船で津観音に乗り付け騒動に加担した。翌1919年(大正8年)、白塚郵便局が開業した。 1933年(昭和8年)の職業別戸数では、農業238戸、水産業169戸、商業148戸、工業25戸、公務自由業25戸などとなっており、第一次産業と商業が中心産業であった。1944年(昭和19年)5月8日に関西急行鉄道(同年6月1日に近畿日本鉄道となる)が白塚駅を設置し、同年9月には近鉄名古屋線の南側を管轄する車庫として白塚車庫が開設された。 1947年(昭和22年)、白塚村は町制を施行し白塚町となり、白塚町立白塚中学校を設立した。しかし白塚中学は1948年(昭和23年)に白塚町が一身田ほか4か町村学校組合に参加したため、一身田中学校へ統合された。
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