発生と流行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 09:04 UTC 版)
模刻が発生したのは唐代後期のことであり、五代十国の南唐ではこれを用いて『昇元帖』や『澄清堂帖』という集帖を作ったと言われている。この手法が次代の北宋にも受け継がれ、広く行われるようになった。 北宋代は書作よりも昔の書の研究や蒐集・鑑定が広く行われ、書に対して学問的アプローチの行われた時代であった。朝廷でも太祖や太宗自らが書の研究や蒐集を愛好し、淳化3年(992年)には翰林侍書の王著に命じて、王羲之を中心とする古今の書蹟を集めた書蹟集『淳化閣帖』全10巻を編纂させた。この際にも模刻が用いられた。 一度彫れば保存が利く上、いくらでも拓本で複製が作れる模刻は搨模に代わって模写の主流となった。以降、書蹟を模写し法帖化するには模刻が必ず用いられるというほどに普及した。
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