病気療養と引退報道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 14:19 UTC 版)
「デヴィッド・ボウイ」の記事における「病気療養と引退報道」の解説
2000年代に入っても創作意欲は衰えず、2002年に『ヒーザン』、2003年に『リアリティ』と立て続けにアルバムを発表し、大規模なワールド・ツアーを開始する。その中で8年ぶりの来日公演も果たした。しかし、このツアー中にハンブルクにて動脈瘤による前胸部の痛みを訴え緊急入院、残りの14公演を急遽中止した。 この一件以来、ボウイは創作活動に消極的となり、2004年の「ネヴァー・ゲット・オールド(英語: Never Get Old)」(『リアリティ』からのシングル・カット)以降リリースが途絶えることになった。公の場に姿を現したのも、2006年にデヴィッド・ギルモアやアリシア・キーズのライブにゲスト出演した程度で、表立った活動はほとんど行われなかった。 親交の深いブライアン・イーノは2010年初頭のインタビューで「ここ数年のボウイはすっかり創作活動への意欲を削がれてしまったようで、この調子だと新作は当分ないだろう」と語り、同年秋に妻のイマンが近年のボウイは自宅でアート作品の制作や執筆に勤しんでおり、その生活に満足していると語った。イマンによれば、現在は自身が蒐集した100個以上のオブジェを撮影し、それに自身のテキストを添えた書籍『Bowie: Object』を執筆中であり、ボウイが第一線に復帰することについては「本人次第」とした。 2011年にボウイの伝記を手掛けた作家、ポール・トリンカ(英語版)が「よほど劇的な作品を届けることがない限り、もう一線には戻らないだろう」と、ボウイは実質的にほぼ引退したという見解を述べた。 同年3月に、2001年にリリースを予定していたという幻のアルバム『トーイ(英語版)』がインターネット上に流出するという事件が起こった。
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