略体歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 08:46 UTC 版)
春楊葛山発雲立座妹念(春楊葛山(はるやなぎかづらきやま)に立つ雲の立ちても居ても妹をしぞ念ふ) — 『万葉集』巻11・2453 助詞の「に・て・を・も・し・ぞ」の付属語がまったく書かれていない典型的な略体歌である。 『韓藍花歌』は、『人麻呂歌集』の非略体歌で必ず見られる助動詞「けり」が表記されておらず、その意味で略体歌に近い。しかし、『韓藍花歌』がこの歌と根本的に異なる点がある。それは、『韓藍花歌』が、「写し難くも」を「難写」と返読するように表記しているのに対して、この歌の「妹をしぞ念ふ」はそのまま日本語の語順に従って、「妹念」と書かれていることである。『人麻呂歌集』では、「難写」のような目的語や補語の返読表記は原則として見られない。 解衣恋乱乍浮沙生吾有度鴨(解衣(とききぬ)の恋ひ乱れつつ浮沙(うきまなご)生きても吾は有り度(わた)るかも) — 『万葉集』巻11・2504 同じく助詞の「の・て・も・は」が無表記の略体歌である。その一方で、略体歌にあって例外的に助詞の「つつ・かも」が書かれている。略体歌は訓を主体とする表記であることに大きな特徴があるが、自立語を正訓によって表記する他に、借訓によって助詞「かも」を「鴨」で、助動詞「つ」の連体形「つる」を「鶴」で表記する例などがある。 略体歌において助詞の使用を避けたのは、詩歌の表現を念頭に置いてのことであり、単なる順接の表現はない方がむしろ簡潔で、その分を実質的な語に割り当てて、より豊かな意味内容の表現を目指してのことと思われる。ではなぜ助詞の「かも」が表記されるのであろうか。感動を表す助詞の「かも」が表記されることは、明らかに情動をモチーフとする「詩体」を意識したものと考えられる。このように、和歌の文字化は実用文とは性格を異にしていることが如実に示されている。
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