由来についての誤諺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:30 UTC 版)
「ワシのマーク」のモチーフについて、制定当時の社長であった上原正吉の出身地である埼玉県北葛飾郡杉戸町の地図上の形を模したという俗説がある。 しかしながら、当時の杉戸町は周辺自治体と町村合併を開始したばかりであり、町村合併開始以前の旧・杉戸町の町域は、現在の杉戸町中心部である杉戸町杉戸・杉戸町内田・杉戸町清地・杉戸町倉松に相当する地域のみであった。 杉戸町の戦後の町村合併の概略は下記の通り。 1955年2月11日、旧・杉戸町と東側の田宮村・南側の堤郷村・北西側の高野村が合併。 1956年1月1日、北葛飾郡幸手町から旧・八代村の一部を杉戸町に編入し、大字本島を新設。同年9月1日、幸手町から旧・八代村の一部を大字本島に編入。 1957年7月17日、東側の泉村を編入。 1960年11月3日、旧・泉村の南側である大字木崎・芦橋・倉常を庄和村に分離。これをもって現在の町域が完成した。 上原正吉生誕の地は旧・杉戸町ではなく、東側に隣接していた田宮村並塚である。 「ワシのマーク」が制定されたのは1955年7月である。当時の杉戸町は上原正吉生誕の地を含む旧・田宮村と合併してから約5か月が経過していたが、当時の町域は現在の町域の中央近辺から西側で、当時の町域の東側に位置した泉村は未編入であった。 したがって「ワシのマーク」制定当時の杉戸町は地図上で「翼を広げた鷲のような形」はしていない。杉戸町が泉村を編入して地図上で「翼を広げた鷲のような形」になったのは1957年7月で、現在の形になったのは1960年11月である。「ワシのマーク」制定と約2年もしくは約5年4か月のズレがあり、いずれかの姿をモチーフにしたと仮定しても年代が合致しない。 上記の理由から、「ワシのマーク」について当時の社長・上原正吉の出身地がモチーフになったとする説は明確に誤りである。
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