田川啓二とは? わかりやすく解説

田川啓二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/14 16:50 UTC 版)

田川 啓二(たがわ けいじ、1959年 - )は、東京都出身の実業家服飾デザイナービーズ刺繍作家東京都港区出身。

来歴

少年時代、母親の趣味であったフランス刺繡に関心を持つ。明治大学法学部法律学科卒業後、レナウンルックに就職、営業職に就いた。在職中よりアパレルの知識を深めるため、エスモードジャポン夜間コースにて学ぶ。ファッション業界で仕事をしていく自信がついたことからレナウンを2年で退職、高級ブランド「ジャン・クロード・ジトロワ」(Jean-Claude Jitrois)に転職。扱う製品に使用されているオートクチュール刺繍の奥深さ知り感銘を受ける[1]

ジトロワの仕事で南フランスで行なわれたショーに買い付けに出向いた際、席が隣り合った縁でインドで刺繍工場を経営している女性実業家と知り合う。フランス刺繍と趣の違うインド刺繍について教えられ、話が弾み連絡先を交換した。この出会いが好機となる。わずか数日後、インド人女性経営者から「自社製品を日本に売り込みたいのでアテンドしてくれないか」と依頼される。田川は休みを取ってこの仕事を引き受け、成功を収めた。インドの会社と日本のアパレル業界を繋げることが出来る営業力、テキスタイルやパターン、デザインを提案できる専門知識を併せ持ったエージェントは田川自身より他に居ないと考え、起業することを決意する[1]

1989年、株式会社「チリア」を設立、代表取締役に就任[2]。社名の「チリア」はヒンディー語で「小鳥」を意味する[1]。同時にインドのニューデリーにアトリエを構え、ムンバイデリーの腕の良い刺繍職人に発注している。アトリエには20,000種類もの材料を常備。豊富な材料と技法を複雑かつ高密度に組み合わせることで立体的で繊細な陰影、色彩、光彩、グラデーションを表現する。1996年品川区西五反田に刺繡教室「チリアエンブロイダリースタジオ」開講。2000年に自身初の個展「田川啓二の世界オートクチュールビーズ刺繍展」を開催。2005年にはジュエリーブランド、2009年にはプレタポルテブランドを立ち上げるなど、オートクチュール刺繍のほか、オリジナル企画製作・販売、手芸教室の運営など事業を拡大している。

2013年にハワイのワイキキにカフェ&ショップをオープン[3][4]

2016年4月、文化学園大学特任教授に就任。

2023年4月28日、栃木県那須郡那須町に『田川啓二美術館』を開館[1][5]。オートクチュールビーズ刺繍作品やアンティークコレクションなどを展示している。また、田川のトークショーやワークショップが行われることもある。

人物

  • 2人兄弟の次男。兄の雅一は事業家でありグラフィックデザイナーであった(2017年死去)。曾祖父、祖父、父は繊維業界で仕事をしていたこともあり、幼少期からスワッチと呼ばれる生地のサンプルを集めた素材見本に触れて遊んでいたという。
  • 趣味はガーデニング料理、着物やブリキ製玩具のコレクションなどである。バラ育種家・河本純子から2010年の新作バラを贈られ、「クチュールローズ・チリア」と命名。
  • ゴッホモネらの著名な絵画のビーズ刺繡による模写や、『不思議の国のアリス』の世界を再現した作品などを手がける。
  • 日本には刺繍に特化した美術館が無いに等しいことから、自ら私設美術館を作ることを決意した。ゼロから施工することは資金面なども難しいと考えたため美術館専門中古物件を探し、ようやく栃木県那須郡にある物件と巡り会えた。少々改修工事を行い、2023年4月に開館した。また、オープンするにあたり学芸員の資格を取得した[5]
黒柳徹子との関係

2002年2月21日に黒柳徹子の番組「徹子の部屋」に出演したことをきっかけに意気投合し、その後、黒柳から衣装オーダーメイドを受けて制作したことから懇意になる。他の衣装のコーディネートやプロデュース、管理も担っている[6]。2016年頃より黒柳の個人事務所のマネジメント業務を兼任しているが、あくまで“副業”である[5]。田川が所有する軽井沢の別荘には徹子のための部屋も設けられている[7]

主な衣裳デザイン

出演

他多数

著書

  • 『フレンチテイストのビーズ刺繡』(2001年 文化出版局
  • 『オートクチュールビーズ刺しゅうの本』(2001年 日本ヴォーグ社
  • 『フラワーモチーフのビーズ刺繡』(2002年 文化出版局)
  • 『あこがれのビーズ刺繡アクセサリー』(2002年 講談社
  • 『ビーズ刺しゅうのバッグ&小物』(2003年 ブティック社
  • 『モチーフ100からはじめるビーズ刺しゅう』(2003年 NHK出版
  • 『田川啓二の世界 オートクチュールビーズ刺繡』(2003年 学研

出典

  1. ^ a b c d パリのメゾンに愛されるオートクチュールビーズ刺繍。幾重にも重なる光の美しさをブローチで纏って”. 日本全国お取り寄せ手帖. mode (2024年9月5日). 2025年5月14日閲覧。
  2. ^ ABOUT|田川啓二 オフィシャルサイト”. www.tagawakeiji.com. 2023年6月18日閲覧。
  3. ^ club willbe(クラブ・ウィルビー):サポーティングメンバーインタビュー 田川啓二 さん「震災を経て思うのは夢を追い続けることの大切さ」”. www.club-willbe.jp. 2023年6月18日閲覧。
  4. ^ 美しいビーズ刺繍を創るカリスマデザイナー | アロハストリート-ハワイ”. アロハストリート. 2023年6月18日閲覧。
  5. ^ a b c 那須高原に“田川ワールド”が誕生!”. willbe Interview. クラブ・ウィルビー. 2025年5月13日閲覧。
  6. ^ 『徹子の部屋』出演がきっかけで黒柳徹子と友人に!衣装の管理も任されるデザイナーが登場”. テレ朝POST. テレビ朝日 (2025年5月13日). 2025年5月13日閲覧。
  7. ^ 【大公開!】徹子が軽井沢で過ごすおウチを紹介!. 徹子の気まぐれTV. 2024年6月8日. 2025年5月13日閲覧
  8. ^ 日曜スタジオパーク 「ビーズの魅力にえビーズ顔」”. NHKクロニクル. NHKアーカイブス. 2025年5月13日閲覧。
  9. ^ 北大路魯山人の壺”. 開運!なんでも鑑定団. テレビ東京 (2004年12月14日). 2025年5月13日閲覧。
  10. ^ すてきにハンドメイド 田川啓二のときめきビーズ 「バラのバッグチャーム」”. NHKクロニクル. NHKアーカイブス. 2025年5月13日閲覧。
  11. ^ 団塊スタイル「中尾ミエ 50歳からのマイ ライフ」”. NHKクロニクル. NHKアーカイブス. 2025年5月13日閲覧。
  12. ^ 訪れた場所”. 木梨目線! 憲sunのHAWAII3. BSフジ (2013年1月1日). 2025年5月13日閲覧。
  13. ^ フジコ・ヘミング×田川啓二 NHK Eテレ『SWITCHインタビュー 達人達』6月23日放送”. amass (2018年6月22日). 2025年5月13日閲覧。
  14. ^ ヒロミも“友達”ビーズの神様・田川啓二 こだわりぬいた軽井沢の別荘と絶品軽井沢グルメを紹介”. エンタックス. AX-ON (2024年11月24日). 2025年5月13日閲覧。

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