田中友道とは? わかりやすく解説

田中友道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/10 16:35 UTC 版)

田中 友道
たなか ともみち
生誕 1894年8月16日
大日本帝国山口県
死没 (1965-11-13) 1965年11月13日(71歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1915年 - 1945年
最終階級 中将
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田中 友道(たなか ともみち、1894年(明治27年)8月16日 - 1965年(昭和40年)11月13日)は、日本の陸軍軍人陸士27期陸大36期。最終階級は陸軍中将

略歴

山口県佐波郡西浦村(現防府市西浦)で田中三蔵の二男として生まれる[1]。1913年、陸軍士官学校に入学。兵科は工兵であった。1915年(大正4年)卒業し、工兵第6大隊附となる。1921年、陸軍大学校に入校。卒業後は工兵第11大隊中隊長となったが、1926年航空兵科に転属。その後は軍中心部や教育部門での役職に就いたが、日中戦争勃発後の1938年(昭和13年)、実戦部隊である重爆の飛行第60戦隊長に任ぜられ、中国大陸を転戦。続く太平洋戦争では第7飛行団長時代はビルマを転戦した。その後内地に帰還し、水戸教導航空通信師団長として終戦を迎える。

年譜

人物

豪胆な性格で知られた反面、名誉欲や自己顕示欲の強い人物で、攻撃命令に要望戦果を付け加えたり[9]、指揮官としては問題のある人物であった[注釈 1]。 また、典型的な精神論者で、第7飛行団の検閲訓練の際講評にて搭乗員に対し「時至らば敢闘玉砕すべし。自己及び部下を酷使すべし。文句を言うな」[10]といった趣旨のことを述べたという。こうした彼の態度に対し、飛行第64戦隊の中村三郎中尉は自身の日記にて「世は飛行団長のため働くに非ず、陛下のお為、皇国の為一身に進み行く」[11]「閣下は馬鹿なり、馬鹿なり、浮薄なり。敢えて言う。予は彼を軽蔑す。」と怒りをあらわにしている[10]

なお、彼が最後に師団長を務めた水戸教導航空通信師団はポツダム宣言受託後の8月17日にクーデターを起こしている。

親族

  • 兄 田中聖道(陸軍少将、戦死)[1]

注釈

  1. ^ なお、この発言に対し中村中尉は日記にて「我々はただ戦い抜くだけだ。戦果は関係ない」と反発している。

脚注

  1. ^ a b 『防長人物百年史』280-282頁。
  2. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正6年9月1日調609ページ
  3. ^ a b c 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正14年9月1日調567ページに記載
  4. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正15年9月1日調
  5. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和2年9月1日調612ページ
  6. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
  7. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和11年9月1日調
  8. ^ 公職追放に関する覚書該当者名簿 93頁
  9. ^ 梅本(2010)、p.50
  10. ^ a b 梅本(2010)、p.78
  11. ^ 梅本(2010)、p.55

参考文献

  • 末弘錦江『防長人物百年史』山口県人会、1967年。
  • 上法快男監修,外山操編『陸海軍将官人事総覧』陸軍篇(芙蓉書房、昭和56年)(376頁)
  • 梅本弘『捨身必殺 飛行第64戦隊と中村三郎大尉』大日本絵画、2010年。ISBN 978-4-499-23030-8 
軍職
先代
中薗盛孝
飛行第60戦隊長
第2代:1938年12月10日 - 1940年3月9日
次代
小川小二郎
先代
山本健児
第7飛行団長
第5代:1942年12月22日 - 1944年1月10日
次代
古木重之
先代
板花義一
陸軍航空通信学校長
第4代:1944年8月8日 - 1945年5月3日
次代
なし(廃止)




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