漢口空襲 (1939年10月)
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1939年10月の漢口空襲(かんこうくうしゅう)は、日中戦争前期に、中華民国とソビエト連邦の連合航空隊が、日本占領下の漢口(現武漢市の一部)に対して行った航空攻撃である。中ソ連合航空隊は3回に渡って漢口の日本軍航空基地を奇襲し、うち2回の戦闘で日本軍の航空機多数を破壊して塚原二四三少将らを死傷させた。日本軍航空隊は日中戦争開始以来初めての大きな損害を被った。
注釈
- ^ 10月3日の日本側戦死者数は、中山(2007年)によると12人[5]。
- ^ ただし、巌谷(2003年)によると、木更津空所属の巌谷自身が出撃中で漢口に不在の10月17日である[6]。
- ^ 10月14日の空襲における日本陸軍機の損害20機という数値は戦史叢書の『中国方面海軍作戦(2)昭和十三年四月以降』によっているが[3]、同じ戦史叢書の『中国方面陸軍航空作戦』では海軍機に相当の損害とだけ述べて陸軍機の損害には言及していない[2]。
- ^ 二連空司令官の桑原少将は、塚原少将に代わって一連空司令官に横滑りした。
- ^ 巌谷(2003年)によれば、十三空兵力は27機[7]。同書監修の壹岐春記は当時、十三空の中尉でこの空襲にも参加している。
出典
- 1 漢口空襲 (1939年10月)とは
- 2 漢口空襲 (1939年10月)の概要
- 3 背景
- 4 戦闘経過
- 5 結果
- 6 参考文献
- 漢口空襲 (1939年10月)のページへのリンク