瓶詰めの手紙の事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 15:53 UTC 版)
「ボトルメール」の最も古い記録として以下のような物語が紹介されることがある(Robert Kraskeの "The Twelve Million Dollar Note: Strange but True Tales of Messages Found in Seagoing Bottles" (1977) による)が、真偽は不明である。 1784年、日本人のMatsuyama Chunosukeと43人の仲間が太平洋諸島へ財宝探しに行こうと海にのりだしたが、嵐に遭い珊瑚礁に座礁し近くの島に避難せざるを得なくなった。だが、その島で飲料水と充分な食糧を見つけることができず、そこで得られるココナッツや蟹だけを食べているうちに脱水症と飢餓で死亡者が出始めた。そこでMatsuyamaは自分が死ぬ前に、自分たちの旅で起きたことをココナッツの木の断片に書き、それを瓶につめて海に流した。およそ151年後の1935年、日本のワカメ採りの人がその瓶を見つけた。その瓶は、Matsuyamaの故郷Hiraturemuraの海岸に漂着していたのであった。 1876年以降、スコットランドの離島セント・キルダの人々は容器に手紙を入れて流しコミュニケーションをとるということを行っていたという。 1914年、第一次世界大戦のさなか、イギリスの兵士 Thomas Hughesは妻に宛てた手紙を緑色のボトルにつめてイギリスの海峡で投げ込んだ。彼は2日後、フランスにおける戦いのさなかに死亡した。1999年、漁師のSteve Gowanがテムズ川でそれを拾い上げた。(宛先の女性はすでに1979年に亡くなっていたが)その手紙は1999年、ニュージーランドに住んでいる、女性の娘に届けられた、というニュースが流れた。 1984年7月、千葉県立銚子高校が海流調査のために450本、翌年に300本を流し、2021年9月までに52本が発見された。発見場所はワシントン州、カナダ、フィリピン、マーシャル諸島、ハワイなどである。 現代の日本では、子供たちに夢を与える等の目的で実際に手紙入りのボトルを海に流すイベントが開催されることがある。このようなときに流される手紙には、誰かに送達されたことの確認を求めるために返信先が書かれていることが多い。
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