王国の中央集権化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 06:15 UTC 版)
「ハイダル・アリー」の記事における「王国の中央集権化」の解説
ハイダル・アリーは軍を行政機構の中央集権化を進め、ザミーンダールといった領主層による徴税請負制を徐々に廃し、国家による直接徴税を行い、税収の増加を目指そうとした。 まず、ハイダル・アリーが全権を掌握したのち、王国の領土は州・県・郡・村の四つの行政区分に分けられ、中央政府が定額給与を支払う役人らが任命されることとなった。なかでも、県知事は徴税面など地方統治の全般において重責を担った。また、ハイダル・アリーは数年おきに県知事とその補佐役である書記を招集し、県における徴税の実態を確認し、その業務における不正防止に努めた。 徴税行政を中央集権化するため、先述したようなザミーンダールなどといった領主らの廃止は特に重要だった。郷や村といったレベルでは、これらの世襲的な在地役人が多くおり、18世紀にカンナダ地方では、彼らは統治機構の末端を徴税などで担うかわり、報酬として徴収税の一定割合および村における免税地などの権益を保証されていた。 ハイダル・アリーはこれら在地の世襲役人らの職権を徐々に縮小・廃止し、代わりに定額給与を受け取る国家の役人らを任命した。彼の時代には、一部地域においては在地役人らの世襲が存在したが、息子のティプー・スルターンの時代には原則として廃止となった。 こうした厳格な中央集権化の結果、マイソール王国の財政は他国が羨むほどにまで潤ったばかりか、常時6万人もの軍隊を抱えることが出来た。
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