王国の分割
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「ロデリック (西ゴート王)」の記事における「王国の分割」の解説
クーデター後、王国の南西(ルシタニアと、首都トレド周辺のカルタギネンシス西部)はロデリックの領土となり、北東(ヒスパニア・タラコネンシスとガリア・ナルボネンシス)は考古学的そして貨幣を証拠としてアギラの手中にあったことがわかっている。現存するロデリックの12枚の硬貨は全てトレドで鋳造されRvdericvsの名が刻まれている。おそらくロデリックが首都としたのはエギタニア(現在のイダーニャ・ア・ヴェーリャ)であった。硬貨が発見された地域は重ならなかった。このことは、2人の統治者が異なる地域から対立しあって国を治めていたことが非常に高い割合でありえることを示唆する。ガラエキアとバエティカ、2つの州が陥落したことは不明である。ロデリックとアギラが軍事的対立にあったとは決して見えない。これはおそらく、アラブ人急襲にロデリックが没頭したこと、王国が正式に分割されなかったことで説明ができるだろう。 西ゴート王の一覧は、7年と6ヶ月統治したルデリグス王(Ruderigus)に言及している。一方で年代記Chronicon Regum Visigothorumの別の続編ではアキラ王の統治期間を3年と記録している。日付のつけられない王の一覧とは対照的に、トレドで書かれた754年の年代記においては、ルデリクス王(Rudericus)は1年間支配したとある。ロデリックの治世は常に710年に始まり(まれに早く709年)、またはさらに一般的には711年に始まり、711年の後半か712年まで続いたとされる。アギラの治世はおそらくロデリックの治世後すぐに始まり713年まで続いたとされる。
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王国の分割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 06:02 UTC 版)
クロタール1世の死後、再び帝国は長子カリベルト、次子グントラム、第三子シギベルト、末子キルペリクによって分割された。まもなくカリベルトが死去したことで、その領域は残った3つの分王国によって再分割され、アウストラシア、ネウストリア、ブルグンディアが鼎立する状況が形成された。
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