爆撃による死者数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:26 UTC 版)
4月28日に発表されたスティアの記事は死者数については触れていない。バスク自治政府は死者数を1,654人、レンダカリのホセ・アントニオ・アギーレは2,000人と推定している。フランコ側は「エラン報告」で死者数を100人と推定し、フランコ派の学者による死者数は学者によって12人から250人まで幅がある。内戦後のスペインでは反乱軍の言論統制が行われたため、30年間もスペイン国内では「ゲルニカ爆撃で死者が出た」という事実が知られていたのみだった。フランコ独裁時代には共和国側の発表や共和国寄りの国際ジャーナリズムを基盤に置いた研究が多かったが、1970年代初頭からはより学問的な研究が出始め、フランコの死後にはそれまで未公開だった公文書を用いた研究も不可能ではなくなり、従来考えられていたよりも人的被害が少なかったとする説が主流となった。1985年には左派の歴史家の集団がゲルニカにゲルニカサーラという研究組織を設立し、爆撃の意図が民間人の殺戮にあったこと、死亡したのは250人であるとの見解を発表した。 爆撃による死者数の見解思想研究機関/研究者死者数(人)ゲルニカの人口(人)備考バスク自治政府/反フランコ派 バスク自治政府 1,654 ホセ・アントニオ・アギーレ 2,000 バスク自治政府レンダカリ(首班) ヒュー・トマス(英語版) 1,654→100-1,600→約1,000 7,000 『スペイン市民戦争』などの著書がある歴史家 ハーバート・サウスワース(英語版) 1,654 6,000 スペイン内戦やフランコ独裁時代を専門とする歴史家 フランコ政府/フランコ派 「エラン報告」 100 6,000 フランコ政府から依頼を受けた技術者による調査報告 リカルド・デ・ラ・シエルバ(スペイン語版) 12以下→150 4,000 スペイン内戦やフランコ独裁時代の著作が多い歴史家 ヘスス・マリア・サラス・ララサバル(スペイン語版) 100 航空技師・軍事史家・歴史家 ビセンテ・タロン(スペイン語版) 200 戦争ジャーナリスト・戦争史家
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