災害による不通から廃止へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 08:06 UTC 版)
2010年7月31日に押角駅 - 岩手大川駅間の茂市駅起点23.965km地点で土砂崩れによる脱線事故が起き(詳細は「岩泉線列車脱線事故」を参照)、以来岩泉線は長期にわたり運休が続いた。 2012年3月30日、JR東日本から「岩泉線の復旧を断念し、バスによって輸送を継続したい」という方針が発表された。これに対し、復旧費用が圧縮できるとする岩手県側とあくまで廃止とするJR側との隔たりが大きく協議は難航。2013年9月5日にはJR東日本が廃止を正式伝達したが、自治体側は依然として存続を要求していた。 その後、同月9日にJR東日本が国道340号押角峠の道路改良に協力することを提案し、岩手県が押角峠の道路改良を検討。この段階では存廃問題とは切り離して考えるとしていたが、後に岩手県が、岩泉線の廃線が避けられない場合、押角峠の道路改良を行うために岩泉線の押角トンネルを利用する方針を示し、同年11月中に宮古市・岩泉町がこの方針を受け入れる方向で最終調整が進められていた。同月7日、岩泉線を廃止することでJR東日本・岩手県・宮古市・岩泉町が合意し、翌8日、国土交通省に廃止届が提出された。2013年12月19日に意見聴取が行われた結果、廃止日の2014年4月1日への繰り上げが認められ、廃止日を繰り上げる届出が2014年1月8日に国土交通省へ提出された。 1987年4月のJR東日本発足以降における同社管内での廃線は、第三セクター鉄道へ転換された路線を除けば1997年10月1日の信越本線横川駅 - 軽井沢駅間以来2例目で、同一線区の全線での廃止は同様の事例を除けば同社発足以来初めてとなった。なお、廃止セレモニーは行われなかった。 運休期間中は列車代行バスが運行され、当時岩泉町に本社があった東日本交通が受託していた。廃止後は同社による路線バス(茂市岩泉線)に転換された。
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