漢画派(北宗画派)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 02:37 UTC 版)
この画派は長崎漢画もしくは唐絵と呼ばれ、主に明清画の影響が色濃い。宋元代の絵画様式を模倣した、室町時代の水墨画とは別系統の漢画である。1642年(正保2年)に来日した黄檗僧逸然性融は、長崎漢画の祖と呼ばれ、羅漢・達磨・布袋像などの道釈人物画を多く描いた。逸然以前にも范道生・陳璜・陳玄興といった渡来画人が作画している。また陳賢の道釈人物図が、渡来僧によって幾たびか持ち込まれた。逸然の門弟に河村若芝・渡辺秀石などが育ち、北宗画風の漢画を善くした。逸然のほかにも絵画をたしなむ黄檗僧は多く、この画派は長崎派の主流とされる[要出典]。河村若芝は一家をなし、門下に上野若元・山本若麟・牛島若融らがつらなり幕末まで続いた。
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