滕王閣とは? わかりやすく解説

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とうおう‐かく〔トウワウ‐〕【滕王閣】

読み方:とうおうかく

唐の太宗の弟、滕王(李元嬰(りげんえい))が築いた高殿中国江南省南昌市西南にあった王勃(おうぼつ)の詩で、また画題としても有名。


滕王閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/05 04:30 UTC 版)

滕王閣の主楼

滕王閣(とうおうかく、拼音: Téngwáng Gé)は、中華人民共和国江西省南昌市東湖区滕王閣街道にある楼閣岳陽岳陽楼武漢黄鶴楼と並んで、江南の三大名楼とされる。中華人民共和国国家重点風景名勝区(2004年認定)[1]中国の5A級観光地(2018年認定)[2]

歴史

永徽4年(653年)、当時洪州都督だった李元嬰(唐の高祖李淵の二十二男)によって、洪州城の西門「章江門」の北西、贛江の東岸に創建された。名前の由来は、李元嬰が滕王に封じられていたことにちなむ。

上元2年(675年)9月、唐の詩人の王勃が、当時交趾(現在のベトナムハノイ付近)に左遷された父の王福畤を見舞う途中、ここで催された宴に招かれ、名作「滕王閣序」(駢文)と「滕王閣」(七言古詩)を作ったことで名高い。

初に贛江の河道が東に移ると、閣の跡地は江中に崩れ落ち、以後は南昌城西の城壁城や章江門外に再建された。歴代に幾度も戦乱などにより焼失しているが、その都度王勃の名作が思い起こされて再建されてきた。同治年間に28回目の再建が行われたが、1929年に軍閥同士の戦争で破壊され再建されていなかった。現在のものは1989年に唐代の遺跡の南に再建されたもので、29回目の再建に当たる。

脚注

参考文献

関連項目

座標: 北緯28度41分2.76秒 東経115度52分32.88秒 / 北緯28.6841000度 東経115.8758000度 / 28.6841000; 115.8758000




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