遠坂文雍とは? わかりやすく解説

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遠坂文雍

読み方とおざか ぶんよう

江戸後期画家江戸生。名は親夫、字は穆夫、通称庄司雪堂水墨禅廬の号がある。谷文晁学んで人物花鳥能くする嘉永5年(1852)歿、70才。

遠坂文雍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/20 14:50 UTC 版)

遠坂 文雍(とおさか ぶんよう、天明3年(1783年) - 嘉永5年7月20日1852年9月3日))は江戸時代後期の南画家

名は文應、は文雍・穆夫。は雪堂・十友園など。通称を庄司。江戸の生まれ。

略伝

文王猟渭陽図 嘉永3年(1850年) 静嘉堂文庫美術館

谷文晁門下。小日向台町に住む。田安徳川家に仕えた[1]

行年70歳。駒込吉祥寺境内稀蔵庵に埋葬される。

次男・仲雍(字:蠖夫、号:逸斎、通称:丹二郎、天保の頃活躍)、孫の文岱(名:則男もしくは正雄、別号:五清堂・十友園、通称:松次郎、明治6年7月2日死没)と三代続けて画家になる。

門弟

  • 吉沢雪庵(名:文行、号:小造化廬、明治22年(1889年)没、高橋由一が一時師事、山水図花鳥図を得意とする)
  • 榊原長敏(名:清記、号:文翠、文政6年(1823年)生 - 明治42年(1909年)没、京都生・幕臣大和絵を得意とする)

作品

挿画

脚注

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  1. ^ 野村文紹 『谷文晁翁之記』
  2. ^ 『春嶽公記念文庫名品図録』 財団法人積善会、1983年3月25日、pp.112、326。

参考文献



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