源内による偽書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 04:25 UTC 版)
源内は近江で多くの偽系図や偽書を著作した。『江源武鑑』『江陽屋形年譜』『大系図』『倭論語』『足利治乱記』『異本関ケ原軍記』『金史別本』などである。寛文(1661年 - 1673年)頃には神戸能房が『伊勢記』において「氏郷云己称其子孫、偽作江源武鑑、剰今世三十巻之大系図(氏郷と称する自称子孫が、江源武鑑や大系図などの偽書を作成した)」としており、この頃には源内作の偽書は大きく広まっていた。 源内の著作で特に強調されているのが、六角氏の正統が六角義実・六角義秀・六角義郷、そしてその子六角氏郷(源内本人)と受け継がれたという史観であり、更に彼らが参議や中納言という高官に昇り、織田信長と協力して足利義昭を入京させたとしている。これは他の史書や史料などとの整合性が取れない為厳しく批判されている。伊勢貞丈、成島司直なども源内の著作を批判したが、これらは一般に浸透し、多くの系図類や史書、縁起等に影響を及ぼした。 六角氏嫡流を称する加賀藩士佐々木定賢は、宝永5年(1708年)の『佐々木氏偽宗辯』において、源内の生い立ちから偽書作成について説明し、厳しく批判した。また庶流建部賢明は「大系図評判遮中抄」で、源内は六角嫡流を偽って佐々木六角氏の系譜に誤解を広めたと非難している。
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